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■ビデオショップ

 サービス重視のニュータイプレンタルビデオショップオープン!

 安っぽいコピー用紙にそんな文字が踊っていた。アパートのドアの、それも覗き穴を隠すようなナイスポジションに貼られている。ぴったり目の高さ。
 思わず隣のドアも見た。そこにも同じように同じチラシが貼ってある。その隣も。そのまた隣も。
 つまり、八部屋並ぶアパートのドアすべての覗き穴をチラシが塞いでいた。錆が浮いた柵越しに一階の部屋を見下ろすと、一階のドアにもすべて貼ってあった。ここより幾らか家賃が高い向かいのアパートも見た。三階建てのドアに四角くて白い物が見えた。
 世の中にはご丁寧な業者もいるもんだと思った。
 小さく千切ったガムテープで貼りつけられた紙を、べりべりべりーっと剥がす。剥がすついでにチラシも破けた。更にその下に五枚綴りの細長い紙が貼ってあった。

 スペシャルサービスクーポン
 ご持参のお客様にはスペシャルサービスをご提供!

 肩の力が抜けた。
 クーポンは丁寧に四隅をガムテープで貼りつけてあった。
 念の入りようには脱帽だった。

 三部屋向こうのドアが開き、Tシャツにトランクスの髭のにいさんが出てきた。私が会釈すると、あっちも会釈を返してくれた。煙草をくわえながら、無造作にチラシをばりばりと剥がすと部屋に戻っていった。後には五枚綴りのクーポンが残っていた。

 ただいま、と部屋の中に呼びかけた。返事がないのにも慣れていた。
 二つに裂けたチラシを眺めてみた。近所のコンビニのすぐ横だった。暇があったら行ってみてもいいか。必要な情報を伝達した残りかすを丸めてゴミ箱に放り投げた。
 テレビをつけた。一人暮しの部屋に話し声が流れ始める。

 ご飯を食べて、寝て、起きて。
 会社に行く。
 机の上の仕事を淡々とこなし、何か言われる前に逃げるように帰る。
 それが何日か続いた。

 冷蔵庫に食料がなかった。
 しまった、と思った頃には遅かった。スーパーはもう閉まっているし、どこの店もラストオーダーなんかとっくに過ぎている。忙しさにかまけていて冷蔵庫の中身をチェックするのを忘れていた。昨日、一昨日と外食したのもまずかった。

 あーあ。

 しなびた人参が野菜室に転がっていた。水分が飛んで黒くなった人参をゴミ袋に投げ入れた。紙くずだらけのビニール袋の中で泣いているように見えた。
 今夜はもうどうしようもないからコンビニの弁当で我慢することにした。
 サンダルをつっかけ、ニューヨーク土産の気の抜けたTシャツのまま外に出た。

 住宅街の只中でコンビニだけは明るい。薄暗い道を抜けると晧々とした明かりが迎えてくれる。誘蛾灯にも似た光がそこにある。昼と言わず夜と言わず人の気配が絶えない。
 見えてきた光に懐かしさに似たものを感じた。数年来の友人に会ったような、と言えば大げさだけど、それの何十分の一かには近いだろう。奇妙な感情に首をかしげながら、持っていた財布をより強く握り締めてみたりする。
 ああ、と思い当たる。このコンビニで買い物なんて何日ぶりだろう。いつもは会社のそばの店で済ませているから来る機会がないんだ。家から一番近いのに、一番利用してなかった。
 時間が空いたからか、懐かしさすら感じるコンビニは少しだけ変わっていた。明るさが三割増。立ち読みする客の数はそこそこ。小さな白いビニール袋を下げて出てくる客は一様に黄色い袋を持っている。こんな夜の、こんな時間に見るには多少奇妙だった。
 だけど、店が変わったというのは気のせいで、正確にはそのご近所が変わっていた。テナント募集中だった隣の雑居ビルの一階、そこがビデオ屋になっていた。三割分の明るさはそこからのものだった。

 サービス重視のニュータイプレンタルビデオショップオープン!

 安っぽいコピー用紙にそんな文字が踊っていた。とてもとても見覚えのある文句が印刷されたチラシは、入り口のガラスドアにガムテープで貼りついていた。チラシに空気が入らないようにきっちり四隅を止めてある。その几帳面さは褒めてあげたいけど、普通のガムテープなところは減点。
 疲れた社会人をやっているけど、好奇心は人並みにある。サービス重視のビデオ屋とは何ぞや。
 ドア一面に貼りつけられたチラシの隙間から店内を見た。幸い、自動ドアではなかったから、覗こうとしてドアが開いてしまうこともなかった。そんなことになったら気まずくてしょうがない。
 ともあれ、覗いた。見た。
 壁際にずらりと並んだビデオケースの背。その中央に、パーティションで区切られた謎の小部屋が計四つ。ピンクのカーテンがかけられて中の様子までは見えない。
 あれか、オトナのビデオ屋さんというやつか。
 普通のビデオ屋でも、店の奥に仕切られた謎の部屋がある。入り口にはあんなカーテンが下がっていて、大抵「十八歳未満お断り」と注意書きがしてあるものだ。
 なーんだ。つまんないの。きゅるきゅるというお腹の主張により、本来の目的を思い出す。早く帰ってご飯食べよう。
 目を離したその時。

「スペシャルサービス一名様ごあんなーい!」

 パチンコ屋よろしくジャカジャカと軍艦マーチが鳴り出した。驚きのあまり、振り返ってしまったのは言うまでもない。好奇心が空腹に勝ったのはまさにこの時だった。
 再びチラシとチラシの間から店内を覗く。驚きと未知なる物への興味に心臓がばくばくいっていた。

 小部屋の一つから長いものが突き出ていた。

 口が半開きになった。長いものは、いわゆる槍というやつにしか見えなかった。それもあれだ、南の島のジャングルの原住民が持っているような原始的なやつ。
 槍は突き出たり引っ込んだりを繰り返している。それも、軍艦マーチに合わせて。槍が動くたびに巻きつけられたボロボロの布が宙を舞った。
 ところで、槍の穂先が鋭く光っているように見えるのは気のせいでしょうか。
 ところで、ご婦人方の嬌声が聞こえるのは気のせいでしょうか。それも一人ではなく、何人分も。
 理性と言う名の意志が「ここはやばいぞ!」と叫び続けている。脊髄反射で逃げる身体を好奇心が押し留める。
 いや、逃げようよ! やめようよ!
 だけどどうして、疲れた体の社会人は冷静な判断ができないでいた。ただ面白そうという気持ちだけが身体を支配していた。
 気付けばガラスドアを押していたのだから。

「いらっしゃいませ!」
 土産物のTシャツにサンダルという間抜けな格好の客を迎えたのは、タキシード姿の男だった。隠しても無駄なバーコード頭にちょび髭という、典型的なおっさんだった。胸元に「店長」と書かれたネームプレートが光る。
「お客様、初めてでいらっしゃいますね?」
 揉み手しつつ、いかにも営業用な笑顔が迫ってくる。下のほうからぐぐっと見上げてくる。額の皺も数えられそうだ。
 気圧されながらも初めてということを伝えると、
「それはそれはよろしゅうございます! では、入会記念として本日はスペシャルなサービスをさせていただきます!」
 まだ観たいものすら決めてないし。借りるかどうかも決めてないし。そう言おうとしたものの、
「こちらのブースへどうぞ!」
 と、おっさんに槍が突き出ている小部屋の隣に押し込められた。すでに隣の騒ぎ声は止み、男と女が小声で話す、ぼそぼそという聞き取りにくい音が聞こえていた。
 それでもやっぱり槍は出入りしているのだけど。
 ピンク色のカーテンをくぐると、そこもやっぱりピンク色だった。奥には同じようにカーテンが吊り下がっている。そして中央にはなぜか椅子。大衆食堂にあるような安っぽい椅子ではない。ゆったりと座れるリクライニングチェアだ。厚みのある背もたれに深い座面。足置きもセットで、昼寝でもしたら気持ちよさそうだ。
 実際、理性という名の意志が「座って寝ろ」と言っていた。さっきまで「やばい」と警鐘を打ち続けていたのが嘘のようだ。
「どうぞ、お座りください」
 おっさんに勧められ、素直に座ってみた。
 恐ろしかった。
 恐ろしいとしか言えないほど、座り心地が良かった。天気のいい日曜の縁側ならば三秒KOなくらい気持ちいい。
 背中と尻にあたる感触を楽しんでいると、おっさんは相変わらずの笑顔で、
「スペシャルサービスのコースはいかがいたしましょう?」
 と聞いてきた。
「当店のサービスには松・竹・梅の三種類がございます。どのサービスも質の差はございません。また、サービス料金を取るということもございません。お好きなものをお選びください」
「ちなみに隣の人は?」と聞いてみた。
「隣の方は梅でございます。情熱と悦楽の南国世界をイメージしたサービスをお楽しみいただいております」
「な、南国?」
 上下する槍の穂先の光は、どう見ても金属の輝きだった。梅はなしで、と心の中のもう一人の自分が呟いた。残りは二択。松か竹。
 入ってきたカーテンの前にはおっさんが仁王立ちしていて、出るには力に訴えなければならないようだった。だけどなぜか逃げ出すという選択肢は消え失せていた。それもこれも全て、たちまちのうちに人を虜にする魔性の椅子のせいだ。
 松か竹。
 嫌味とセクハラで有名な課長の名前が竹沢さんだから竹は嫌だな。それじゃ、松で。
 思ったことをそのまま口に出したらおっさんの笑顔が少しだけ崩れた。
「では!」
 おっさんはどこからともなく、赤いヘッドのマイクを取り出した。
「スペシャルサービス一名様ごあんなーい!」

 そこから先のことは誰に言っても信じてもらえないだろうと思う。
 奥のカーテンから黒服が五人飛び出して、周りで撃ち合いを始めたのだから。
 互いに互いを撃ち殺し、一人残ったところで今度はどこからともなく金髪碧眼の美女が現われた。洋画によくある熱烈なキスを交わす二人。
 ところが、男は背中から誰かに撃たれる。女にもたれかかる男。女は号泣して必死に男を抱きかかえる。撃たれた本人はこっちを見てにやりと笑い、膝の上に黒いケースを置いた。そして、「It's reality」とのたまった。
 思いっきり日本語発音で。
 三発目を撃ちこまれて事切れる男。泣きじゃくる女。ちなみに、二発目は傍観している私の胸に当たり、いつの間にか仕込まれていた血糊がTシャツを染めた。
 これがサービスか。
 感想なんてない。どうにもしょぼい演出に呆気にとられていた。関西人だったら思いっきりツッコミ入れてるのだろう。
 膝の上の黒いケースを開けると『実録24時団地妻の気だるい午後』というラベルが貼られたビデオテープが出てきた。
「松を選んだあなた。今日のあなたにお勧めの一本はそれ。たっぷりと団地妻を堪能してくださいね。それではまた次回ー!」
「え、ちょっと!」
 引き止める間もなく速やかに退場するおっさんと金髪美女と黒服。さっきの喧騒が嘘のように静かになった。隣の囁き声も聞こえない。
 あとに残され、呆然とテープを見つめる。見るからにアダルト要素満載なタイトルのビデオを渡されても困る。そもそも、女の私にこんなもんお勧めするな。
 帰るか、とようやく腰を上げたのは、隣から銃声が聞こえてきた頃だった。金髪美女が男の名前を呼んでいた。

 出口で黄色い袋を渡された。店のロゴが入ったビデオを入れるための袋だった。しっかりレンタル料二百円を取られ、半開きの口のまま店を出た。
 そこには、やっぱり私のように呆然としている男がいた。眼鏡にジャージの大学生風の青年は、顔の色がわからないほどキスマークをつけていた。彼もまた、たっぷりとスペシャルで熱烈なサービスを受けてきたのだろう。
「あの、もしかして梅コースの方ですか?」
「そういうあなたは松コースの方ですか?」
 お互いの格好に苦笑いしつつ、連れ立って隣のコンビニに入ることにした。好奇心が満たされたら急に腹の虫が鳴り出した。いや、満たされたと言うのだろうか。とりあえず、事の真実はわかってすっきりとはしていた。
 コンビニに入れば店員が変な目で見るのではと思ったが、別段気にしてもいないようだった。私たちの姿をちらりと見とめると、いつもの愛想のない声でいらっしゃいませと言った。こんな客は今日だけで何人もいたようだった。

 ちなみに。
『実録24時団地妻の気だるい午後』は、太り気味なことが悩みで、手抜き家事を得意とする国生光子さん(42)の一日を追ったドキュメンタリー作品だったことを付しておく。

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