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■シャム双子
「わたしね、シャム双子だったんだ」
亜紀がそんなことを打ち明けたのは、夕日が差し込む放課後の教室でのことだった。
わたしはびっくりして、机から取り出しかけていた国語の教科書を落としてしまった。
シャム双子という聞き慣れない言葉に、理解するのが半秒遅れた。
「シャム双子。知ってるでしょ?」
ただ、うんとうなずくしかできなかった。その時頭の中で回っていたのは、昔々のニュースで見た不幸な双子の映像だった。
亜紀はこの春に転校してきた、いわゆる美少女だった。少し日本人離れした顔と、綺麗な声と、聡明な眼差しを持つ少女は、容姿に似合わないお茶目な性格も持ち合わせていた。おまけに成績は学年トップときたら憧れない男はいないでしょう? 彼女は男子も女子も関係なく、あっという間に名実ともに中野第一中学校のアイドルになった。
わたしは彼女の第一の親友という名誉ある地位にいる。だから打ち明け話なんて珍しいものでもなんでもなかったんだけど、こればかりは本当にびっくりした。前にいた学校が誰でも知っている全寮制のお嬢様学校であることを聞いた時よりも驚いた。
「じゃあ、妹さん、いたの?」
恐る恐る聞いてみる。過去形なのは、そんな双子は二人一緒には生きていけないということを聞き知っていたから。
亜紀はそんな境遇にあるとは信じられないほど華やかに微笑んで、セーラー服の裾をまくった。キャミソールもまくった。脇があらわになる。
そこには大きくひきつれたような傷痕があった。みみずばれがもっとひどくなったような痕だ。腋の下からずっと伸びて、スカート中に潜り込んでいる。亜紀の綺麗な白い肌の中にあると、傷にそって盛り上がった肉がより一層グロテスクだった。
「変なもの見せてごめんね」
多分、わたしの顔は青冷めていたんだと思う。立ち尽くしているわたしに、亜紀は変わらぬ笑みを向けていた。
「わたしね、妹がいたんだ。生まれた時からずーっと一緒だったの。文字通り、身も心もくっついたかけがえのない半身だったの。小さかったからあまり憶えてないんだけど、いつもそばにもう一人のわたしがいたことは憶えてるんだ」
だけどね、と亜紀は顔を背けた。
「ある日もう一人のわたしはいなくなっちゃった。わたし、ひとりぼっちになっちゃったんだ」
寂しげな亜紀の声に、下校時刻を告げる放送が重なった。いつもなら気に留めることもないパッヘルベルのカノンがどことなく悲しく聞こえる。
わたしたちは荷物をまとめ、そそくさと教室を出た。
「半身がいないってすっごく変なの。自分の身体にぽっかりと穴が空いたみたい。埋めるものがないからいつもスカスカ。いつも寂しくてたまらないの」
「何でわたしにそんな大事な話をするの?」
「大事な親友に大事な話をしちゃだめなの?」
逆に聞かれて面食らった。亜紀の言葉に顔が赤くなっていく。肩にかけた重い鞄を投げ出したいくらい、恥ずかしいけど嬉しい。
「寂しいわたしは親友にずっと一緒にいてもらいたいの。それに……」
階段を降りるわたしたちの足音が止まる。亜紀がこっちを振り返る。いつの間にか笑顔が消えて真剣な表情になってる。その背後に昇降口が見えた。そこには――
「最近もうひとりの私がやってくるの……」
「きゃーっ!!」
そこには、亜紀と同じ顔をした誰かがぼんやりと立っていた。長い髪を垂らし、床を見つめる虚ろな目。真っ黒な瞳がこちらを見上げた。
「また悪ふざけでもしたの?」
亜紀と同じ綺麗な声がそう言った。
「ごめんねー。亜紀がまたやらかしたみたいで」
そう屈託なく笑う彼女は亜矢。亜紀がかつて通っていた全寮制のお嬢様学校に通う、亜紀の双子の妹と自己紹介してくれた。今はテスト休みで実家に帰ってきているそうだ。
「簡単にだまされるほうも悪いんだって」
「そんな傷跡見たら誰でもだまされるってば」
わたしは同じ顔に挟まれて帰り道を歩いていた。亜矢は亜紀よりもさらに明るい性格らしく、よく笑ってよくしゃべった。
「またお母さんに描いてもらったんでしょ?」
亜紀と亜矢のお母さんは特殊メイクアップアーティストというお仕事をしていて、ああいった傷跡を作ってしまうのはお手の物らしい。今までどんな映画で仕事をしたのか聞いてみたら、有名な映画の名前がぽんぽん出てきた。その道ではかなり有名な人みたい。
もちろん、亜紀と亜矢は普通の双子で、生まれてくる時にくっついていた、なんてことはなかった。わたしはしっかり亜紀にだまされてしまっていた。
しかも、この手にかかっていたのはわたしだけじゃないらしい。亜紀には前の学校でも何人かひっかけたという前科があった。
「本当に普通に双子なんだよね?」
亜矢のほうに念を押す。いたずら大好きな亜紀だったら、大真面目な顔をして、本当はね……とか言うに違いないからだ。
「亜紀は普通だけどね……」
と、亜矢が背を向けて髪を上げた。
「きゃーっ!!」
そこには大きな口が開いていた。牙の生えたぽっかりとした穴がわたしを見つめている。しかも牙の間からは薄く煙が立ち昇る。
ふらりと意識が遠のきそうになったわたしに、亜紀が呟いた。
「本当にさやかは怖がりねぇ」