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■年中無休
人に言いづらい家庭の事情というやつは誰にでもあるわけで。
「ああ、槙野君。ついでにこれ、蒼凪君に渡してくれるかな」
そう言って、担任は折り畳んだ小さなメモを渡してきた。
「いつものなんだが、急ぎで頼むよ」
「急ぎだったら放送で呼び出せばいいじゃないですか」
「そんな頻繁に呼び出すのも他の生徒の手前、どうかと思ってね」
それに君なら信用できるから。
そう付け加え、担任はプリントの束を抱えた俺を職員室から追い出す。プリントは進路希望調査だ。提出日は一週間後。期限に余裕があるのは、いよいよ迫る受験戦争に備えて親とじっくり話してこいということなのだろう。やることはやっているものの、先のことを考えると溜息が漏れる。
昼休みというのは休むための時間なのだが、俺に限ってはそうではない。先生に呼び出されては用事を言いつけられ、食事をすれば騒がしいクラスメイトには絡まれと、心休まる時間がない。
そう、今のように。
「槙野くぅーん」
気持ち悪い猫なで声とともに、馴れ馴れしく肩に手を回そう……として回せない男子生徒が一人。どうしても背が足りないのだ。頭は俺の目線の下にある。長めの金髪の間から覗く耳にピアスが光っている。
「和泉、俺は暇じゃない」
「俺は暇です」
「暇ですじゃない。おとなしく弁当食べてろ」
「もう食った。んで暇」
「あー、はいはい。邪魔だからどっか行ってろ」
「やだー、槙野君つーめーたーいー」
「俺には任務があるんです。教室にプリントを届けるというお仕事です」
腕の中のプリントをポンと叩き、その手を和泉の頭にポンと置く。
「ガキ扱いすんなよ」
「なら聞き分けよくしとけ」
しっしと手を振って追い払おうとしたが、結局和泉は教室までついてきた。その間、どこの誰がかわいいだの、デートするならどこの店がいいだのと一方的にまくしたてる。
「ところでそれ何のプリント?」
今頃になって聞いてきた。どうにも和泉は自分を優先するきらいがある。もしくは、周りの観察力に欠ける。
「進路希望調査。お前も書いて出せよ」
「あー、もうそんな時期か。槙野は進学でしょ?」
「まあな。この学校はほとんどの生徒が進学だろ。お前は?」
「俺は決めてない。家業継ぐかもしれないし」
「家業?」
そう聞きかけたところで我らが教室についた。和泉の話も気になるが、それよりも蒼凪に用事を伝えるほうが先だ。
「蒼凪――」
と、大声で呼ぶ前にひょろ長い後ろ姿を見つけた。周りより頭一つ背が高いから、どこにいても目立つ。振り返った顔はどことなく頼りなさげな優男で、おまけに色も白い。見る人が見たら病気持ちと勘違いするのではないだろう。
「先生から、これ」
メモを渡す。受け取った手の指はまた白くて細長いが、骨ばった男の手だった。毎日水仕事しているだろうに、不思議と荒れている様子はない。
蒼凪はメモを開くと顔色を変えた。慌てた様子で自席に戻り、帰りの支度を始める。
「ごめん、今日はもう帰るよ。先生には早退したって言っておいてくれるかな」
「零ちゃんのことか?」
「うん、また熱出したって」
「OK。ノートも明日見せてやるよ。とにかく早く帰れ」
ありがとう、と言い残して蒼凪は慌ただしく教室を出て行った。その背に俺は手を振ってやる。
「蒼凪、早退なの?」
馴れ馴れしく肩に手を回そう……として回せない和泉だった。行きどころを失った手が俺の背中を軽く叩く。珍しくおとなしくやり取りを見守っていたらしい。
「ん、まあな。零ちゃんが心配なんだろ」
「零ちゃん?」
「あいつの娘」
耳をつんざくような大声と、連発される疑問符。何故と繰り返し聞かれても俺が困る。
「別に隠してたわけじゃないぞ。聞けば答えてくれるから、本人に聞け」
なおも絡んでくる和泉を押しやり、俺は小脇に抱えた紙束を教卓に置く。そして蒼凪に進路希望調査の紙を渡し忘れたことに気が付いた。授業のノートと一緒に明日渡せばいいだろう。
高校生と父親という二足の草鞋はさぞ大変だろう。まだ一人前とも言えない身の上で、自分より弱い人間の人生を背負っている。
「蒼凪はああ見えて結構な苦労人なんだよ」
それは和泉に向けて言ったのか、自分に向けて言ったのか。
頑張れよ、お父さん。
後でメールでもしてやろうと思ったところで、昼休み終了の予鈴が鳴った。