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■竜の牙

「りゅうがへい、ですか」
『そう、竜牙兵。ドラゴントゥースウォリアー。知ってる?』
「そりゃまあ、知ってますけど。そいつがどうかしたんですか?」
『守ってんの』
「どこを?」
『城門』
「どこの?」
『うち』
「はあああああああああ!?」
 思わず水晶に向かって大声を上げてしまう。水晶の中で師匠は顔をしかめ、両手で耳を塞ぐ。小さなおじいちゃんのそんな仕草は普段だったらかわいいと思うかもしれないけれど、告げられた事実はあいにくとそんな余裕を持てるようなものではなかった。
『ちょっと、もう少し優しく叫んでよぅ』
「竜牙兵ってあれですよ? 骸骨ですよ。スケルトンウォーリアーの上位種ですよ。あれを扱えるのって死霊使いか魔女だけですよ! そんなのが城にいるんですか!?」
 スケルトンウォーリアーは人間の骨を媒体とするが、竜牙兵はその名の通り竜の牙を媒体として生み出される骸骨戦士だ。魔力を持つと言われる竜の牙を使うので、普通のスケルトンウォーリアーよりもランクが高い。奴らは意思を持たず、魂もなく、乾いた骨の身体で主のために捨て身で戦う。そんな魔物だ。アンデッドの一種であり、まず普通の魔術師には扱えない。死の国と契約を結んで初めて死者を御する禁術を使えるようになる。
 そして契約できるのは人を捨てた者か、元より人ではない者と決まっていた。
 師匠はまくしたてる私から視線を逸らす。見えているのかどうかわからないくらい細い目だけれど、経験上、視線が泳いでいるのはわかる。何しろ師匠とは私が生まれた時からの付き合いなのだ。
『うん、まあ……そういうことだよね』
「師匠」
 小さなおじいちゃんを投影する水晶に思いきり顔を寄せた。
「魔術師長でありながら、何故それを許したんですか」
 ドスの効いた声に、「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げ、水晶の中の師匠が少し離れた。弟子を怒らせると怖いってどうしてこの人は学習しないのだろう。
「死霊使いは悪魔と契約した輩、魔女にいたっては魔族そのものです。どちらも我々人間にとってはよくない存在です。そのうち城を乗っ取られますよ。どちらですか? どちらが城にいるんですか?」
『し、死霊使い……です……』
「わかりました。では道を開いてください」
『は?』
「帰ります。その死霊使い、私が追い出します」
『え。ミーちゃん本気?』
「もういい大人なのでミーちゃんはやめてください」
 私はローブのフードを被り、そこらに散らかしていた魔術具をまとめて麻袋に放り込んだ。どれが何だか把握してないけれど、役に立つ物の一つや二つはあるだろう。袋を肩にかつぎ、壁に立てかけてあった杖を取る。杖は私が持つには少々大きいが、これしか持っていないし、これ以外を使う気もないので仕方ない。
「師匠の性格では百年経っても追い出すなんてできません。だから弟子の私がやります」
『ミーちゃん……』
 師匠の声は今にも泣きそうだ。泣きたいのはこっちだよ。仮にも一国の魔術師長ともあろうお方が、どうしてこうも気が弱いのだか。
『お土産は?』
「そんなの用意してる暇はありません。さあ、さっさと開いてください!」
 再び叫んだ私に、師匠は渋々こちらに手をかざした。何か言いたげな顔ではあったが、私はそれを許すほど出来た性格ではない。おおかたマルリンの店のフィナンシェを買ってこいとかそういう話だ。
『オープン』
 師匠ほどの魔術師となると長ったらしい詠唱は必要ない。両開きのドアを開くように手を開くと、水晶のあった空間が縦に裂けた。切り開かれた空間の向こうに、困ったような笑顔の小柄な師匠がいる。よっこいしょと裂け目をまたぎ、
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
 しゅるんと音がして背後で裂け目が消えた。私は床に描かれた魔法陣のちょうど中央に立っている。とても見慣れた師匠の執務室だ。国を出る前に比べると物が増えたように見えるけれど、それを検分するのは用事を済ませてからだ。
「えっと、それでね?」
「その死霊使いはどこにいるんですか」
 詰め寄る。師匠は体をのけぞらせて逃げようとしたが、すかさずマントの裾を踏んでやった。
「まずはゆっくり城を見たり挨拶したりしたほうがいいんじゃないかなぁ。ミーちゃん、帰ってくるの何年ぶり?」
「三年ぶりくらいですね」
 山脈を三つ越え、海を渡った先にある魔法都市。私はそこに留学中の身だった。国費で勉強させてもらっている身ゆえ、帰省の時間も惜しいと勉学に励んでいたら、自国の様子を窺うことを怠っていた。その結果がこのザマである。
「まあ師匠の言うことにも一理ありますね。まずは王に一時帰省の報告をいたしましょう。この時間はどちらにいらっしゃいます?」
 簡単に身支度を整えながら聞くが、師匠の返事は今一つ歯切れが悪い。おずおずと乙女のように指先をいじくり回し、上目遣いでこちらを見やる。
「あの、ね?」


「ファリオス様ぁぁぁぁ!!!」
 扉に拳を叩きつけ、轟雷のごとき声でがなりながら乗り込んだ。
 陽光溢れるティーサロンの中央には華やかな装飾の丸テーブル一卓と、それを囲むように椅子が四脚置いてある。今、その卓には二人の人間が座り、傍らには執事のブレンスンが控えていた。
「やあ、ミルレイン。いつ帰ってきたんだい?」
 手を挙げて挨拶するのは麗しき我が君、ファリオス国王陛下。背中まで伸びる美しいブロンド、宝石のように輝く瞳、絹のような肌に深くお優しい声という、まさに芸術品のようなお方。ああ、三年会わずしても我が君は相変わらずお美しい。いつもなら立ち尽くして見惚れているところだけれど、あいにくと今はそんな場合ではない。我を失いかけて、頭を振る。
 その向かいに座る男を目にして、私は思わず悲鳴をあげた。絹を裂くような、とかそんなお上品な悲鳴ではない。女性らしさなんてものは三年前に捨てた。
「ハースヴィル!?」
 顔の左半分を白い仮面のような物で隠した男がそこにいた。老人のようなごま塩頭に色を失った灰色の瞳、健康で浅黒かった肌は白く、手の甲には青い血管すら浮いて見える。随分様変わりしたが、その顔はたしかに私が知っている顔だった。
「ハースヴィル、だよな?」
 こちらを振り返っている顔が、右半分だけでにこりと笑った。
「ひさしぶりですね。ミルレイン」
「ハースヴィル……」
 胸の奥からせり上がってくるこれは慕情だろうか。もう二度と会えないと思っていた顔を目の前にして、私の思考もそれまでの威勢も全て凍りついてしまった。立ち尽くし、呆然とその姿を見る。
「なぜ。なぜ生きているんだ」
 あの日、目の前で刃に貫かれる彼を見た。腕の中で冷たくなっていく彼に覆いかぶさるように泣いた。茫然自失のままに棺に横たわる彼を見た。棺は釘を打たれ、埋葬され、その上に墓石を立てた。私はそのすべてを見てきた。
 ハースヴィルは死んだはずだった。
「まあまあ、積もる話はあるだろうが、まずは落ち着きたまえ。あいにくと酒ではないが、再会を祝して、まずは乾杯といこうではないか」
 ファリオス様が目を配るとブレンスンはもう一客、ティーカップをテーブルに置いた。慣れた手付きで高い位置から琥珀色の茶を注ぐ。私の分だ。
「そんな怖い顔してないで、おいで」
 まるで猫を呼ぶかのようだ。手招く主に逆らえるはずもなく、恐る恐るテーブルについた。隣ではハースヴィルがにこやかに微笑んでいる。
「ハースヴィル。お前、死んだはずでは」
「死にましたよ」
 新しく注がれたお茶を口にして、ハースヴィルはさらりと言った。どんなに重要な話題でも、大したことないと言いたげに流すように話すのはこいつの悪い癖だ。そう言えば、その余裕は己の自信の現れなのかと突っかかったこともあった。
「死んで、地獄の底から蘇ったのです。字のごとく」
「地獄……?」
 訝しげに聞き返すと、ハースヴィルは顔の左半分を覆う仮面をわずかにずらした。
「……!」
 覗き込み、息を飲んだ。そこには目がなかった。眉がなかった。唇が半分なかった。白い肌すらなく、ただぽっかりと塗りつぶしたような黒い空間だけがあった。傷だとか穴だとかそんな生易しいものではない。彼の顔面は半分虚無に飲まれていた。
「それは、一体……」
 わなわなと震える手をその顔に伸ばす。指が触れるか触れないかというところでハースヴィルは遮るように仮面をつけ直した。生身の残り半分は澄ました表情を作る。
「これは代償です」
「代償?」
 おうむ返しに問い直したが、ハースヴィルは答えない。ただ寂しげに微笑むだけだ。
「さて、ミルレイン、突然の帰国はどういった風向きだ?」
「ああ、それです!」
 ファリオス様に水を向けられ、両手をテーブルに叩きつける。がたん、と揺れて、あやうく茶器がひっくり返りそうになった。
「死霊使いがこの国に取り入ってると聞いて、慌てて帰ってきたんです!」
「ほう、死霊使い」
 ファリオス様は優美な手を顎に当て、わずかに表情を曇らせる。その憂いを帯びたお顔もまた実に麗しいのだが、今は見惚れている場合ではない。
「ええ。死霊使いとは悪魔と契約した邪悪な輩。奴らは己の欲望を満たすためだけに魔術を使います。禁術をもって死者を操り、周りの人々を邪毒に蝕み、その地をいずれ草木一本生えず死者しかおらぬ土地に変えてしまうのです。ああ、おぞましい!」
「そんなにおぞましいのかね」
「ええ。我々魔術師の間では常識です。死霊術師に関わるべからず。そんなのと関係していると知られたらこの国の評判も地に落ち、他国から突け狙われます」
「ふむ」
「だから、手遅れになる前にそいつを追い出さないと! どこにいるんですか!?」
 息巻く私に対し、ファリオス様はどこまでも穏やかだ。にこにこと話を聞いているばかりで焦りのようなものが見えない。日輪公と呼ばれる我が主はお人好しと揶揄されるほどにお優しい。
「たしかに死霊術師はいる。私が登用した」
「だから、どこにいるのです!?」
「ここだ」
「は?」
「君の隣にいる」
 ファリオス様の指先を追い、隣、と右に目をやった。直立したままのブレンスンが首を横に振った。執事一筋四十年、盲目的に主君に仕えてきたこの忠義の男に、死霊術に手を出す暇があるとは思えない。
 左に目をやった。ハースヴィルがにこりと笑ってひとつうなずいた。
「まさか」
「ああ、そのまさかだ」
「ハースヴィル、お前が?」
「ご指名の死霊術師です」
 驚くほどあっさり私は卒倒した。最後に聞いたのは、かつての持ち主と再会した杖がからんと床に落ちる音だった。


 それから三年が経った。
 魔法学校の課程を首席で修め、私が国に帰ってから間もなく、隣国との同盟が解消された。戦争の始まりだった。あちらの外交担当は死霊術師を抱えている国など信用ならんと言っていたが、蓋を開けてみれば隣国はすでに一人の魔女に支配されていた。つまり同盟など元より破棄するつもりの侵略戦争だった。
「ハースヴィル」
「なんでしょう?」
 開戦前夜のことだ。私はハースヴィルと二人、砦の塔の上で国境の向こうを眺めていた。遥か向こうの平原に、野営の火が連なっているのが見える。我々同様、敵の陣営も寝ずの番を続けていた。その光が町の明かりのようにも見えて、急に遠いものに感じた。
「お前は知っていたのだろう? あの国に魔女が入り込んでいたということを」
 ハースヴィルは微笑んだまま、遠くを見ている。その手には三年前まで私が使っていた、それ以前は自分が使っていた杖を握っている。無骨な杖はやはり私が持つよりも彼が持つほうがしっくりくる。
「あの魔女がいずれ隣国を支配し、こちらにも攻め入ってくる。何年も前にそれを予見していたからこそ、帰ってきたのだろう? お前はどんな誹りを受けても国を守るため、ここに留まった。――生前、婚約者であった私にあれだけ罵られても、だ」
 三年前の罵詈雑言の嵐を思い出すと頭が痛い。よくもあれだけの悪口のバリエーションが自分にあったものだと逆に感心してしまう。そして、それをぶつけられた相手がどれだけ傷付いたかと思うと心が重い。
 何を言われようとも彼は一言も反論しなかった。ただ私が気の済むまでそうさせていた。
 かつて愛した男は姿は変われど心は変わらぬままだった。
「少し違います」
 ハースヴィルは緩く頭を振る。白い仮面が篝火の光を受けてオレンジ色に染まる。仮面は見たことのない素材だった。金属でもなく、石でもない。木でもなければ布でもなく、おそらくこの世の物ではないだろうことだけはわかった。
「私は国を守るために戻ってきたのではありません。たしかにファリオス様に忠義は誓っていますが、それだけのために悪魔に魂を売り渡したりしません」
 柔らかな声でしれっと言ったので流しそうになったが、逆臣とも言われかねないとんでもない発言だ。誰かに聞かれようものなら、この場で首を落とされても不思議ではない。幸いにもここには私達二人しかいないが、それでもそんな恐れ多いことは口に出すとは変なところで度胸がある。
「ならば怨んでいるのか。己の命を奪った私に復讐するため、蘇ってきたのだろう」
 何気なく言ったつもりだったが、声の震えは隠せない。三年よりずっと前、魔術が暴走したあの日。あれは私の未熟さが原因だった。天才と呼ばれ続けたがゆえの慢心もあった。そして己の未熟さと慢心で大切な者を失った。
 海よりも深く悔いた。自責の念に追われた私は遠い異国の魔法学校に入学した。それまで魔術は師匠から教わっていたが、一から勉強し直すことにしたのだ。六年という月日は長いようで短かった。必死で学び、腕を磨き、気付けば首席で卒業していた。しかしいまだにハースヴィルの命を奪うことになったあの魔術だけは使えない。
「怨まれて当然だな。私はお前の将来を奪ってしまったんだ。ご家族にも顔向けできなかった」
 あの時の彼の家族の顔が忘れられない。悲愴と憎悪が混じったあの視線が怖くて、葬式の間は顔を上げることができなかった。
「いいえ。恨んでなんていません」
 どれだけ罵られてもいいと思った。彼にはその権利があるし、私も覚悟していた。なのにハースヴィルは柔らかな声で否定した。ハースヴィルは声を荒げることはしない。いつも穏やかで、物静かで、何があっても大きな声を上げたりしない。 
「貴女のためです」
「え?」
「貴女を守るため、蘇ったのです」
「ハースヴィル……」
「この身はもはや死体ですので、生者である貴女を愛する資格などないとわかっています。ですが、貴女が戦争で命を落とすことだけは許しがたかった。だから、せめて近くで守ろうと」
 言葉が出なかった。どうしていいかわからず、それまでかたくなに触れようとしなかった彼の手を取った。血の流が止まった手は土気色で、とても冷たい。これが彼の覚悟がもたらしたものだ。屍と化してまで舞い戻ってきたその想いの強さを、私は受け止められるのだろうか。
「しかし、相手は煉獄の魔女と呼ばれるほどの強者だぞ。いくら優秀な魔術師だった言っても、お前ごときが勝てるのか?」
 ハースヴィルはにっと笑う。薄く開いた口から人の物の三倍は大きな犬歯が光った。
「負けませんよ。誰にも負けないために、地獄の竜大公と契約したのですから」
 竜大公。文献で読んだことがある。地獄を統べる七大公の一人で、憤怒を司るという。人の身では想像もつかないほどの魔力を有し、力で全てを捻じ伏せる、巨大な竜。地獄の王。
「もう二度と、あの時のように愛してくださいとは言いません。ですが、守らせてください。この身が朽ちるまで」
 死霊術師は契約期限が十年と決められている。この契約が切れれば魂を契約主に差し出さなければならないらしい。つまり、十年後には真の意味での死が訪れるというわけだ。
 ハースヴィルは三年前に蘇った。彼の時間はあと七年しかない。よもやの再会は嬉しいが、純粋には喜べない。七年後には再び別れがやってくる。またあの悲しみのどん底に突き落とされるのだ。
「ハースヴィル……」
 名を呼ぶ他に何も言えなかった。彼の手を強く握り、変わり果てた顔に思い出の中のかつての顔を重ね、そして仮面にそっと唇を寄せた。

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