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■イトーヨーカドー

「救難信号? どこから?」
「イトーヨーカードー、笠木町店。ここから二時の方向です」
「たしか笠木町は完全に奴らの勢力下となり、封鎖中のはず。まさか……」
「生き残りがいたようですね」
「くそっ! 最悪だ!」
「どうしますか?」
「報告しろ! 奴を呼べ! 見捨てるわけにもいかんだろう!」

 ***

 ――時は数日前に遡る。

「何の御用ですか」
 突然の招集。何年も前に退職したにも関わらず、懐かしの駐屯地に呼び出された。いや、正確には連行された。
「三潮君、国のために戦ってくれないか?」
 パイプ椅子に座らされた俺の目の前に立っているのは元上司の沢ノ目。当時からいけ好かないおっさんだったが、歳を食っていけ好かなさが増していた。
 顔を見ても懐かしさとか感慨とかそんな感情は欠片も湧いてこない。こいつにされたあれやこれを思い出すたびに内臓から膿が滲み出るような気持ちになる。
 沢ノ目はこの数年で階級が上がったようで、制服の階級章が変わっていた。
「お断りします」
 躊躇いはなかった。即断即決。現役時代に学んだ経験がここで生きる。
「君はかつてこの国を守るために志願したのだろう? 忘れたのか?」
 刈り込んだ頭によく日に焼けた顔。沢ノ目は元々人相はいいほうではないが、制服補正で頼り甲斐のあるナイスミドルに見える。
「忘れてませんけど、今はもう一般人ですから」
 対する俺は、上はスウェットのパーカーに下はジャージ。散髪を忘れて伸びた髪はボサボサで、長い前髪が目を半分隠している。顎髭は二日前から剃っていない。
 寝起き直後にコンビニに朝飯買いに行った姿そのままだ。まさかそんなところで元同僚に拉致られるとは思うまい。
「無理矢理連れてきてなんですか。これから魅惑のスーパーヒーロータイムなんですけど」
 口を尖らせて言った。
「今朝はテレビを見ていないのかね? 新聞は? ニュースは?」 
「はぁ? 昨晩寝落ちてここに来るまで何も見てませんけど」
 一日中ネットゲームをする傍ら動画めぐりをし、飽きたら巨大掲示板で罵倒合戦。それが俺の日常だった。昨晩は二日間ぶっ通しで起きていた影響で午後六時に寝落ちてしまい、そのまま十二時間寝続けた。起床は今朝の六時。日曜朝の特撮アニメタイムの前に食事を買ってこようと外に出たらこいつらにとっ捕まった。あまりにも鮮やかで、ネットをチラ見する暇もなかった。
「静馬君」
「ハッ」
 控えていた元同僚が傍らのテレビをつけた。ちなみに静馬というのは名前じゃなくて苗字だ。よく名前に間違えられると本人が愚痴っていたので俺が代弁してやろう。顔がいいので同僚だった頃はどうしても好きになれなかった男だが、渋さと精悍さが増してイケメン度も上がっていた。やっぱりこいつも好きになれない。顔のいい男は皆俺の敵だ。
 テレビの中では静馬には一段劣るアナウンサーが興奮した様子で喋っていた。曰く、混乱、襲撃、テロ、交通麻痺、死者の群れ、自己防衛、感染、化け物、自衛隊、米軍出動、動く死者――終末の始まり。
「何だこれ……マジかよ……」
 カメラが映す世界に絶句する。
 日本であるのは確かだろうが、どこの街かは知らない。駅ビルがあって、デパートがあるようなそこそこの規模の都市だ。その路上で鳴り響くクラクション、ガラスが割れる音、逃げ惑う人々の悲鳴。そしてその背後に迫る、人でない者の姿。
「先に言っておくが、映画ではない」沢ノ目が愕然とする俺に告げる。「現実だ」
「嘘だろ……」
「嘘ではない。これと同じような状況が全国各地で同時多発的に起きている」
 沢ノ目は両手を背中の後ろで組んでいる。声は冷静沈着そのもので、かえってそれが今見ているの物の現実感を損なう。
「悪い冗談かよ。ロメロの映画まんまじゃねぇか」
「その通り。これは君たちの業界で“ゾンビ”と呼ばれている物と推測される」
 カメラが一瞬だけそいつ大きく映した。その画面のおぞましさに息が止まったが、すぐに上空から映した街の映像に切り替わった。
 それはかつて人であった者だ。肉がこそげ落ちても、腕が片方なくなっても動く死者。灰色の肌の下の赤黒い肉を剥き出しにし、ものによっては白い骨までも覗いている者までいる。生命活動が止まっているので流れる血は止まらず、いずれ全身から抜け出るだろう。生気を失った虚ろな目は何も映さず、半開きの口は何を求めているのか。俺の知識が合っているならば間違いなく人肉。
 映画で散々見た。ゲームで散々撃った。
 それほどに見慣れた存在が現実にいるのが信じがたく、また、それはフィクションよりも作り物めいて見えた。
 テレビの中のゾンビはのろのろと動き、逃げ遅れた人々を襲う。カメラは角度が絶妙で、屍者に覆いかぶさられた人は、路上に横倒しになった車の向こう側に倒れた。悲鳴、と思ったところで画面はテレビスタジオに戻った。
「最初の発生は昨日の午後九時。場所は群馬県桐生市の一角。中心市街地から少々離れたところに奴らが現れた。それが第一報だ。その後、東北、中部、九州など日本全国各地で奴らの出現が報告された。現在は警察、消防及び我々自衛隊が全力で対処に当たっている」
 沢ノ目が静馬に目配せすると、チャンネルが変わった。テレビがコンピュータの画面に切り替わり、日本地図が映し出される。緑色の日本列島の中に、無数の赤い点。おそらくこれら全てゾンビ発生地点なのだろう。
「君が寝こけている間に起こったことだ」
 ちらりとこちらに目をやって沢ノ目が言った。だからこのおっさんはいけ好かないんだ。寝てたっていいだろう。俺の時間をどう使おうが、俺の自由だ。
「で、今超多忙なはずの自衛隊さんが、退職した屑ニートの俺に何の用ですかね?」
 パイプ椅子にふんぞり返って睨み返してやる。自慢じゃないが、こっちは既にプロのニート。退職して再就職も蹴って以来、自宅から出るのは必要最低限のみ。一応親の世話にはなっていないが、貯蓄も退職金も食い潰すだけの身の上だ。現役時代の体力は三分の一も残っておらず、筋肉もとっくに脂肪に戻った。辛うじて腹が出ない程度には気を遣っている。
 そんな一般人以下の俺に今更何の用だ?
「今、君が必要なんだ」
 沢ノ目が片手で両目を覆う。悲しみか悔しさか、口が悲痛に歪んでいる。
 ああ、なるほど。そういうことか。
 腹を抱えて笑い出したくなるほど愉快な気持ちが溢れているが、必死に我慢して口が歪む。
「日本ゾンビ研究会副会長の、君の知識が」
 さあ、どうだ? お前が虫けらと呼んだ男に助力を請う気持ちは。

 ***

「ヨーカドーの見取り図は?」
「これだ」
 静馬が手元をタッチすると、テーブル型モニタの前面に見取り図が展開された。
 イトーヨーカドー笠木町店。地上二階の独立店舗で、高さはないが建築面積はそこそこ広い。規模としてはあまり大きくないが、各種テナントが入っており、一通りの物であれば揃う。
 屋上は駐車場になっており、地上からスロープで上がっていくタイプのものだ。
 他の住宅街や商店街から少し離れた国道沿い。地上には充分な広さの駐車場を確保している。
「理想的だなぁ」
 腕を組みつつ見取り図を眺め、俺はのんびりと呟いた。
「いやー、ショッピングモールに立て籠もるなんて映画そのものだわ。まさか生存者に臨月の妊婦とかいないよな?」
 静馬が眉間に皺を刻んで俺を見る。お前何言ってるんだ? 慎めよ。言外にそう言っているのはわかるが、あえて気付かないふりをする。
「会長にも見せてやりたいくらいだ」
 海向こうの空の下にいる我らが日本ゾンビ研究会の会長を思いやる。三度の飯よりゾンビという、副会長の俺ですら呆れるほどの愛好家。こんな古典的シチュエーションに遭遇したら、発狂したかと思うくらい喜ぶだろう。
 しかし可哀そうに、会長は生憎と今はアメリカにいる。本場の研究会総会に招待され、さあ帰国という段階で日本でゾンビ発生。一般人の日本への渡航は禁止され、足止めを食らってしまったのだ。
 本来ならばこのゾンビアドバイザーというポジションには会長が就くはずだったと聞かされた。なのに当の本人が国内不在という有様で、仕方なく俺にお鉢が回ってきたというわけだ。
 緊急招集されてからこっち、いまだ起こるゾンビ絡みのトラブルに対処するべく、俺は休みなしで働き続けていた。この忙しさはちょっと会長を恨みたくなる。
 現場の生存者からの報告によると、発生当日の笠木店は定休日。店長と研修中の社員、警備員などわずかな人間が内部におり、騒ぎを聞きつけて慌てて開いていた入口を封鎖。その後、逃げてきた近所の住民を何人か受け入れた。
 ここに数日間籠もり、騒動が収まった頃に出ようと思ったが、テレビで笠木町の封鎖を知り、また、生存者がいることに気付いたゾンビ共が周囲に集まり始めてきたため、救難信号を出した、とのことだった。
 電気は問題なく通電していたが、一昨日から停電している。原因はわからないという報告もあった。今は予備の電源で最低限賄っていると言っていた。
 みんな避難してしまったから停電しても誰も気付かなかったんだろう。復旧を待て、と言っておいたが俺達は知っている。もうあの地区に給電はない。笠木町一帯は無人となったので、送電停止が決定されたのだ。
 時には優しい嘘も必要だと思う。
「戦車でガーッと乗り込んで救えばいいんじゃねぇの?」
 言いながら俺は見取り図をここら一帯の地図に切り替える。ゾンビ共を封鎖する自衛隊のバリケードから店舗までは五キロほど。遠いような近いような半端な距離だ。
 広い幹線道路もあるし、装甲車両数台で乗り付ければどうにかなるように思える。走ることを知らない古典ゾンビだらけの状況なので、振り切ることは可能だ。映画の中では軍隊はどうにも間抜けだが、現実の自衛隊はそんなにヘボじゃない。
 しかし静馬は首を横に振る。
「そうしたいところだが、生憎と人員も装備も足りていない。最小限の労力で救い出せ、とのことだ」
「最小限……」
 再び画面を見取り図に戻し、睨む。一番簡単なのは屋上からヘリで救い出す作戦だ。しかし、屋上駐車場は地上からスロープで上がっていけるので、もしかしたら音を聞きつけたゾンビ共が上がってくる可能性もある。
「空中からバリケードを落としてスロープを封鎖。もしも屋上に残っている奴らがいたら一掃。その後、生存者に上がってきてもらって拾い上げる。できるか?」
「できなくはない、と思う」
 今一つ静馬の言葉は歯切れが悪い。
「ただ、あの屋上につけられるだけの腕を持つ隊員がつかまるかどうか、輸送ヘリがすぐ確保できるかどうかわからない」
「人員と装備の不足ってやつか」
 くだらない、と吐き捨てそうになり、無理に飲み込む。隊員の皆さんは日本全国で頑張っている。規模の大小はあれど、全国で似たような事が多発しており、全力で対処に当たっている。防衛費の削減ってこういうところに響くんだよな。思うけれどやはりこれも口には出さない。
 自衛隊を軍隊だと敵視する代議士や民間人はいるけれど、何も戦争の準備ばかりがお仕事ではない。災害派遣だって立派な任務だ。まあ、俺はそんな崇高な職業からドロップアウトしてしまった駄目な人間なんだけれど。
 ぐるぐると考える俺の頭の中など知らない静馬は通信機を手にし、どこかへ連絡取る。
「しかしそれが最善だろう。手は尽くしてみる」
 静馬は今は俺の補佐という任に就いている。今はただの一般人である俺に便宜を図るためと沢ノ目は言っていたが、ただの監視であろうことは容易に想像がつく。あれだけ忌み嫌っていた俺が有利な立場になるのが気に食わないのだ。まったく、どこまで性根の曲がった男なのだろう。ま、俺は存分に利用させてもらうけどな。
「群馬で救助を行っているヘリが一機、こちらに回ってくることになった。あちらでの作戦が終わり次第とのことなので、到着は早くても明日未明だ」
 元同僚の気安さで、会話はお互いタメ口だった。
「てことは、作戦実行は明日朝イチ?」
「そうなるな。今のうちに段取りを整え、生存者に連絡しよう」
 テーブル型モニタを更に切り替える。見取り図でもなく、地図でもなく、実写の画面が映し出される。小型の無人航空機が送ってくるライブ映像だ。カメラはイトーヨーカドーの上空に位置している。屋上駐車場は今のところ無人。店舗周辺はゾンビ共がうろついているが、まだ無理矢理店舗に侵入しようという気配はない。
「ところで、こいつらが立て籠ってからどのくらい経過しているんだ?」
「およそ一週間という話だ」
「なるほど」
 忙しさのあまり満足に剃刀を当てていない顎を擦り、俺は低く唸った。
「顔を洗う程度の時間はあったってことか」

 ***

 人員不足は思っていたよりも深刻だった。イトーヨーカドー笠木町店救出作戦に、静馬まで参加することになった。指令として残るのは俺と通信担当だけ。
 さあ出発という折となり、俺は輸送用の寸胴なヘリに乗り込む静馬を呼び止めた。
「これは誰でも思い付くし、そんな難しい作戦じゃない。まず失敗はないと思う。けれど、作戦の成否と救助の成否は別の話だ」
「……どういう意味だ?」
「極限状態の人間はリビングデッドよりもたちが悪いってこった」
 行ってこい、と迷彩を着た背中を叩く。隊員達が無事戻ってくることは確信している。けれどどうしても最悪の想定が払拭できず、俺は落ち着かない気持ちを抱えていた。
 隊員達のためにもあらゆる可能性を想定し、あらゆる回避手段を教えてきた。これは戦争ではない。けれど生きて帰ってくることが重要だから、俺は持てる情報の全てを提供した。
 それでもこればかりは俺の口からは伝えられなかった。
「何があっても動じるなよ」
 そしてヘリは離陸した。

 ***

 古今東西ありとあらゆるゾンビ映画を見、マンガを読み、小説を読んだ。他人から見ればロクでもない趣味であることは理解している。だけど俺はどうしようもなくそれらに惹かれ、夢中になり、気が付けば日本ゾンビ研究会とやらに入っていた。
 そう、ゾンビとゾンビを扱う作品群は研究するに値するだけのものを持っていたからだ。
 ゾンビ映画に描かれているのは動く死体のおぞましさだけではない。特に巨匠ロメロの作品を見たことがある人ならば、大よそ俺が言いたいことは察せるだろう。そこに描かれているのは生きている人間と社会だ。危機的な状況に陥った時の心理、行動、関係。それらは荒唐無稽な状況の中に確かなリアリティを持って存在している。
 俺の頭の中にはあらゆるゾンビとストーリーが体系化されている。誰かが一つの想定を提示してくれれば、そこから様々な状況をシミュレートすることができる。
 学校の授業中に、所属部隊の訓練中に、家に籠っている時に、多種多様な想像をした。俺の日常にやってきたゾンビにどう対処するか。その脅威が広がった時に、どうやって混乱する人々を導いていくか。中学生レベルの妄想だ。かつて自衛隊に入隊したのも、そんな事態に遭遇した際にも落ち着いて行動できるメンタルが欲しかったのと、装備の扱いを覚えたかったというのが本当の動機だ。
 想像の中の俺はまさにヒーローだった。授業中に襲われたらクラスのマドンナを庇って逃げた。所属部隊の訓練中に襲われたら殺された隊長に代わって部隊を率いた。家に籠っている時に襲われたら、日用品を武器に仕立てて反撃した。苦境に立たされることもあったけれど、その時はどうしてそこに至ったかを振り返り、再度頭からやり直した。
 計画、実行、評価、フィードバック。
 何度も何度も繰り返された妄想は、もはや実地の訓練と変わらない。だから俺はあの映像を見せられた時も、信じることはできなかったが狼狽えることはなかった。
 そして静馬が帰ってきて、彼が見てきた物を悲痛の面持で語られても、特に驚くことはなかった。それは完全に俺の想定内の出来事だった。
「どうしてあんなことに……」
 静馬はヘルメットの顎紐を強く握りしめる。見ていてわかるほどに全身が戦慄き、唇を噛む。
 作戦は成功した。けれど、救助できたのはわずか二名。うち一人は瀕死の重傷。もう一人は身体は無事だがアホみたいに笑い続けている。他の人間がどうなったかは作戦中の通信で聞いた。
 隊員たちが見たのは血に染まった食品売り場。皮肉なことに、現場は食肉コーナーだった。静馬の震える声が、胴体を失った腕が牛肉と一緒にストッカーに並べてあると伝えてきた。
 遺体をどうするかと問われ、俺はそのままにしろと指示をした。本来ならば生死に関わらず救助してしかるべしと言いたいところなのだが、輸送ヘリはたった一機。迫るゾンビたちの渦中にあっては生存者を引き上げる程度の時間しかなかった。
 それでも人かと罵られることは覚悟していたが、隊員達は誰も俺を責めなかった。それが現状最善の判断と認めたからだ。ミイラ取りがミイラ、いやこの場合はゾンビ取りがゾンビか。生存者を確保した後は、一人たりとも被害を出してはならないというのが作戦行動の鉄則だった。
 現場にゾンビ連中が侵入した痕跡はなかった。
 救助されたのは笠木町店の店長である中年男性と、新人の女性社員。店長の方は刃物で腹を刺されており、もう少し遅れていたら死んでいたかもしれないと医官が言っていた。女の方は目立った外傷はなかったが、おつむのヒューズが飛んじまって狂ったように笑うばかり。到底会話にならない。即鎮静剤を打たれて眠らされていた。
 この二人が不倫関係にあったと聞かされたのは数日後のことで、作戦終了時点では俺も静馬もそんな事実は知るはずもない。彼らに作戦を伝えてから突入までのわずか数時間に何が起こったのか。想像するだに恐ろしい。
 強く歯を食いしばる静馬を見て、だから言ったのに、と俺はこっそり嘆息する。イケメンは悔しがる顔もイケメンだった。
「昔起きた南米の鉱山落盤事故、覚えているか?」
 テーブル型モニタをぐるりと囲むパイプ椅子の一つに静馬を座らせる。モニタの私用は禁止と言われているけれど、そんなの無視してインターネットに接続し、当時のニュース映像を表示させた。
「あ? ああ、三十人ほどの人間が二か月以上閉じ込められたというやつか。たしか私達が中学生の頃の事故だ」
「そう、それだ。長期間、多人数であったにも関わらず、彼らは統率が取れ、皆無事に生還した。けれどそれは彼らを率いるリーダーがいたことと、あまりにも日常から逸脱した限定環境だったからだ。『一致団結しなければ生還できない』という共通の強い意識が生まれたんだ。日頃一緒に仕事している集団だとこういう時に強いな」
 映像はちょうど、細長い筒からラテン系の男が笑顔で出て来るところだった。
「人数が多かったこともある。多人数はまとまりにくいと思われがちだが、多くの他人の目があったことで、逆に逸脱行為が行われる前に防止できたし、ラテン系の陽気な血のおかげか、うまいこと息抜きだってできた。ま、女がいなかったってのも大きいかもしれないな。野郎共の中に女一人いたら醜い争いも起きただろう」
 淡々と話す。あまりの単調さに冷やかだと責められるかもしれないが、こんなことを情感たっぷりに滔々と語る趣味はない。
「だが、今回のケースは違う。ヨーカドーに残っていたのは一握りの人間で、かつそこは彼らの日常が普通にある場所だ。日常の場なのに、日常のことができない。そして見知らぬ人と生活を共にする。これがどれだけのストレスになるだろうな」
 入隊直後のことを思い出す。協調性に欠ける俺には教育隊での集団生活は苦痛でしかなかった。自堕落で気楽なニート生活に慣れてしまうと、到底あれに戻ろうという気は起こらない。
「まともな人間なら一週間程度なら我慢できる。でも、ちょっとアレな人間が混じっていたら?」
「……」
「ま、そういうことだ。人間なんて案外脆いもんだ」
 ポンと静馬の肩を叩く。生憎と俺は慰め方なんて知らない。静馬だって曲がりなりにも自衛官だ。奴らとの戦いはこれからも続く。その中で、こんな修羅場にも耐えられるだけの強さを身に付けるだろう。
 かく言う俺は耐えられる気はしない。耐えられないから自衛官を辞めたし、ニートになって全力で現実から逃げた。今はまだゾンビデータベースという強い味方が脳内にあるが、想定を超えた事態に遭遇したら自分がどうなってしまうか想像もつかない。だから現場にも行かない。
 俺と静馬が違うのは立場だけではなかった。
「さ、次の現場に行くぞ」
 日本全国が俺を待っている。ゾンビのスペシャリストである俺に、救いの手を求めている。
 テーブルの上に載せた右手をスライドさせた。切り替えたモニタが映すのは日本地図。一週間前に沢ノ目に見せられたものよりも赤い点が増えている。アウトブレイクは目前だ。地図を見るたびに、何故封じ込められないのかと焦りが出る。しかしそれは政府の対応の遅さとか、米軍の強引な介入とか、冷静になれない民間人とか、騒ぎ立てて不安を煽るばかりのマスコミとか、様々な事柄が原因となっていて、一概にこれが悪いとは言えない。俺には全てが裏目に出ているようにしか思えず、どうして人間は理知的にまとまって行動できないのかと頭を抱えてしまう。
 俺が過労死する前に会長戻ってこないかな。剃る暇のない髭を撫でてぼやく。いっそのこと伸ばしてお洒落と言い張ればいいかもしれないが、残念ながら髭が似合うような整った顔ではない。
 片手で携帯を操作して、会長からのメールを開いた。それには写真が添付されていた。楽しそうな会長の写真だ。両手には金髪碧眼の美女扮するセクシーなコスプレゾンビを二人、侍らせている。ゾンビメイクはハリウッドの職人が施したとかで、こっちにいる奴らよりもよっぽど真に迫っていた。
「三潮」
 うなだれていた静馬が溜息一つとともに顔を上げた。
「お前、髭似合わないから剃れ」
「んな暇ねぇよ。貴重な時間割いてまで慰めてやったんだから感謝しろ」
 出動要請を告げる無線機を静馬に押し付けて作戦室を出る。
 俺も南国でパツキンのゾンビおねえちゃんとイチャイチャしてぇよ。
 しかし俺が知っている範囲ではそんな映画は存在しないのであった。

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