91/100
■サイレン
朝。
どこかでサイレンが鳴り響く。
作りかけで放置された橋脚の傍らでそれを聞く。コンクリート製の太い柱だ。先の方が広くなっているT型で、周囲はとても長い。二十人ほどの人間がいれば、手を繋いで取り囲めるだろうか。
高速道路を作る予定だったというそれは、一定の間隔を置いて平野の田園地帯を横切っている。どこからやってくるのか、どこへ続いていくのかわからない。行進する巨人の列がしばし休憩でもしているかのようだ。
モノリス、あるいは巨大神殿の柱を思わせるそれが続く風景は、どこか現実味が薄かった。辺りは薄らと明るいけれど、灰色の雲が垂れ下がり、太陽の有無が判別できない。地上の色を吸い上げてしまっているかのようだ。サイレンが鳴り響く朝の平原に人影はなく、私一人が佇んでいる。音もあり、色もあるのに鮮やかさを失った景色はタルコフスキーのモノクロ映画を思わせる。
緩い風に長い髪を遊ばせる。腰までの長い髪をなぶられるのは心地良かった。
草むらのさざめきの間を縫ってサイレンが聞こえてくる。間を置いて規則正しく鳴り響く。それはただの時報なのか、警報なのか。私には知る由もない。
ここは誰かの心象風景なのだろうか。
たしかにこの足で我が家からやってきたはずなのに、自分が肉体を持った人間であることの確証が持てない。
私は生きているのか、死んでいるのか。
ここがもし死後の世界であるのならば、古来から言われてきたよりも静かな場所であるらしい。賑やかな天国も、阿鼻叫喚の地獄も、ただの想像にすぎなかったというわけだ。静寂と共に永遠の時を過ごすのも悪くないかもしれない。
両手を広げ、背中から平原に倒れ込む。柔らかな草が私を包み込み、大地の香りに埋もれる。
はずだった。
傾いた背中を支える手が一つ。
「何やってんの?」
白いワイシャツに身を包んだ左腕が私の身体を支え、右手は紫煙立ち昇る紙巻煙草を持っている。下から見上げると、鳶色の瞳は黒に見えた。そこに怪訝そうな色が差している。
「いつまでも遊んでんなよ。行くぞ」
私を立たせ、彼は橋脚の列に沿って歩き出す。草を分け、迷いのない足取りでただ一点を見据えている。この人はこの橋脚たちが何を目指しているのか知っているに違いない。流れゆく緩く白い煙に引かれるように後をついていく。
どこかでサイレンが鳴り響いている。
人気のない朝の平原で。