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■溺れる魚
「これぞかの有名なアルゼンチンの巨匠、ボルヘスが作にしたためし砂の本。二度と同じページは開けず、たとえ指を挟んだとしても無限にページが湧いてくる。そんな摩訶不思議な本でござい」
そんな言葉に釣られ、一冊の書籍を買ってしまった。
冷やかしのつもりで覗いた蚤の市だった。その片隅でやっていたオークションにまんまと引っかかってしまったというわけだ。そんな場所に出された品なので眉唾に過ぎず、結局二束三文の値であった。もっともあの場にボルヘスの名を知る教養人がいたとは考えづらく、私の他に手を挙げた者はいなかった。
下宿に戻り、懐に抱えていた油紙をそっと開いた。そこには古い革装丁の書籍が一冊。年代物のようだが状態は悪くない。革はほどよく湿り気を帯び、ひび一つ入っていなかった。よく手入れされている。背や表紙には上品な意匠が金で箔押しされており、飾りとして本棚に入れておくだけでも悪くない。
滑らかな表面を撫ぜる。ボルヘスの作品に著された物とは異なるように思えた。作品自体を読んだのが遥か昔のことでおぼろげであり、確証は持てない。
ボルヘスはこの本を国立図書館の書架に忍び込ませるという結末を描いていたが、いかな所以によりこの国の市場にまでやってきたのだろう。
試しに適当なページを開いてみた。
それは東洋の知らない言語で書かれたページだった。この整然としてエキゾチックな文字はチベット文字のようだ。しかし残念ながら私には読めない。
もう一枚めくる。デンマーク語かノルウェー語のようだが区別が付かない。ドイツ語を学んでいたので読めそうな気がしたがやはり正確には読めなかった。冒頭に“politisk teori”と書いてあったので、おそらく政治についての文献だと思われる。
その次のページは英語で、これは私にも読めた。無名の研究者が書いたフロイトについての論文の一部分で、悪態に近い批判で結ばれていた。この作者はよほどフロイトが嫌いだったと見える。
試しにこのページに指を挟んで一度閉じ、再び開いてみた。そこにはやはりフロイトの悪態が書いてあった。本物の砂の本であれば私の指とページとの間に更にページが増え、見たことのないページが開かれるはずだった。
なるほど。これは砂の本を模して作られた本であるらしい。脈絡のない文献を集めて一冊にし、戸惑いと眩暈を覚えるような感覚を味わうための物のようだ。読むための物ではなく、知識階級向けの玩具だ。
肩を竦める。ボルヘスが書いた砂の本は所詮物語の話だ。そんな物はこの現実には存在しない。わかっていただろうに、私は何を期待していたのだろう。
唐突に興味を失い、テーブルの上に砂の本を放り出す。そして私は本棚から一冊の書籍を取って開いた。そこには一行八十文字、四十行で文字が並んでいる。その意味のない羅列に没頭するうちに、いつしか砂の本のことは忘れていった。