■宮廷魔術師 前編
偉大だった祖母は百年近くまで生き、そして逝った。
空っぽになった身体は、遺言通りに粉にして故郷で一番高い山の頂上に埋めた。旅暮らしだった祖母だったが、やはり生まれた地を愛し、生まれた地に還っていった。
山を見るたびに思い出す。祖母の姿。
山が見える。国をぐるりと囲む連なり。険しく高い山と、ほんの少しだけ立派になった丘が交互に続く。山裾には森を切り開いた村が広がる。平らなところにいくにしたがって、ぽつぽつと建つ家が増えていった。家がたくさん集まる中心には、石造りの巨大な王城。
あてがわれた部屋から見えるそんな景色にはもう飽きた。都は遠く、面白いものがあるでもない。山を見て、都を見て、また山を見る。することと言えば、早く帰りたいとぼやくくらい。
「ファイローさん! お仕事してますか!?」
ドアの外からたしなめる声。護衛の彼には透視能力でもあるのだろうか。
「してるよ。してます。集中が切れるからあんま声かけないで」
言いながらも僕は窓辺にもたれている。気まぐれに、手の中の青玉を鳥の姿に変えてみた。水属性の玉から作り出された鳥には鱗も生え、尾びれがあった。半魚半鳥の生物は、薄く水の気を纏って飛び立った。天井近くをぐるぐると泳ぐように飛ぶ。
面白くて、足元に転がっていた赤玉も鳥に変えてみた。小型の火鳥は炎の気を纏う。赤い火の粉を撒いて羽ばたいた。
二羽ともしばらくは好きに飛んでいた。やがてお互いの存在に気付くと、距離を取りながらも牽制しあっていた。相反する属性はやはり仲が悪いらしい。赤い鳥が火花を飛ばせば、青い鳥は薄い水膜で防ぐ。青い鳥が尾から水流を出せば、赤い鳥は小さな火柱で防いだ。二羽とも、二級品の玉から創ったわりには優秀だった。
このまま放っておけば、水と火の争いが見られただろう。しかし、争いで二羽とも消滅してしまうのが目に見えていた。もったいなくなって、どっちも玉に戻した。作業台の上のケースに戻す。
あまり仕事をする気にならなかった。
符に、玉に、魔力晶。そして数々の武具。部屋の中央に設えられた作業台の上には必要な道具がすべて揃っていた。簡易魔法陣と魔法書も木箱の中に詰まっている。充分過ぎるほどだ。
やる気が起きないのは充分過ぎる環境だからか。それとも創った道具の使途がはっきりしているからか。
ここは国境近くの砦。肥沃な大地で、かつては農業が盛んに行われていた地方だ。さほど高くない山の上に畑をつくり、野菜を中心につくっていた。国を治める王もこの地方で採れる瓜を好み、毎年献上されていたくらいだった。今では辛うじてその痕跡が見えるくらいか。
長く続いていた戦争が激化したのが今年に入ってから。国境を越えたあたりは戦場と化している。踏み荒らされた畑で、瓜のつるがすっかり枯れていた。
ふと息を吐き、また山を見た。こんなことになるんだったら家を出れば良かったのかもしれない。
宮廷から派遣された僕の仕事は二つ。戦争の道具を作ること。戦場で支援すること。つまり何かを創り、何かを破壊する。まったく相反する概念が共存するこの仕事に僕はすっかり嫌気がさしていた。
偶々生まれた家が宮廷に縁のある魔術師の家系だった。それだけのことだ。僕自身にはとりたてて際立った魔術の才があったわけではない。どちらかと言えば凡庸で、努力しなければ芽も出ない類の人間だ。
たしかに祖母は稀代の天才とも言われ、歴史に名を残す大魔術師となった。街角の吟遊詩人が、好き勝手に脚色した祖母の物語を謳い上げる。いわくその魔法は大河を裂き、いわくその魔法は断崖を砕く。まったく超人扱いされてしまうくらい有名だった。
だけど僕は正反対だ。魔術の研究をするでもなく、旅に出て叡智を求めるでもなく、こんなところで道具作りだ。花形職業の宮廷魔術師でも、こんな配属は左遷と同じ。早く都に帰りたいとぼやく。
「ファイローさん!?」
またドアを叩く彼の声。僕が仕事をしてないとどうしてわかるのだろう。きっちり閉められた厚い樫の扉には、覗く隙間すらないというのに。
やむなく適当な短剣を右手に取り、淡い水色を内包している水晶玉を左手に持った。魔術学校で何度となく唱えた文句を口にする。
魔術の行使に本来言葉は必要ない。強烈なイメージ喚起力さえあれば容易に超常の力を発現できるのだという。しかし、言葉を使わずに術を使える人間なぞそうそういない。それこそ魔族と呼ばれる古の種族の得意分野であり、またそれが人間と一線を画く存在たらしめた。だから、言葉がいらなかった祖母は天才であり、化物だった。
言葉を結び、水晶玉と短剣の切っ先を触れ合わせた。水晶の中に灯っていた淡い光が短剣に吸い込まれていく。短剣は残らず光を吸い上げると、刀身の色が変わった。水晶玉と同じ、水色の光を纏う。
「ファイローさん!!」
なおも叩く音に辟易しながらもドアを開けた。そこには古臭い型の甲冑を着込み、槍を持った青年が、兜だけを脱いだ姿で立っている。もちろん、握った拳は行き場所を無くして宙で止まっている。
「仕事してるって言っただろ」
思いっきり嫌味をこめて、不機嫌そうに言ってやった。
「は、申し訳ありません。しかし、まったくお仕事している気配がありませんでしたもので」
まったく、勘のいい護衛もいたものだ。その勘の良さは敵に対してだけ発揮してくれればいいものを。
「あのな。魔術ってのはすっごく繊細なんだ。お前さんの粗野な大声で、組み上げた魔術式が崩れちゃったらおしまいなんだよ」
連綿とした言葉と魔法陣で紡ぐ魔術式は精緻なものであり、少しの意識の乱れも許されない。大変な集中力と魔術センスがなければ行使は難しい。もっとも、そんなものが必要なほどの大魔術は今のところ使う予定はない。戦争の道具に必要な魔法なんてせいぜい、矢がよく飛びますようにだとか、鎧が気持ち軽くなりますようにだとか、そういう小さなものばかりだ。まとめがけすればいいような、そんなレベルだった。
今しがた使ったものでさえ、付与術師でなくとも、魔術の心得があれば誰でも使える付与術だ。
「申し訳ありません。ですが、外回りの衛兵から、ファイローさんがぼんやりと外を見てばかりいるとうかがったもので」
つまり、余計なことを言った者がいるということだ。それを聞いた真面目なこの男は、職業的倫理観から僕にその真相を尋ねたかった。そういうことなのだろう。
「してるよ。ほら、証拠」
男の手に短剣を握らせる。
「これは何ですか」
「暗闇でも安心、光る剣」
ほら、と言って両手で刃の部分を覆う。光を遮られた狭い空間の中に、ぼんやりと刀身が浮かび上がる。
「便利だろう。便利なんだ。絶対便利だから使え」
ぐい、と押しつけると、男は困ったような顔で手にした槍と短剣を見比べる。槍の穂先は、素人の僕が見ても鋭い光を放っている。一日中ここの護衛という怠惰極まりない仕事でも、男は武器の手入れは怠っていないようだ。前線に出してもらえないという意味をわかっているのだろうか。
「あの、戦いは主に昼間なのでこのような物は必要ないかと」
「密偵が使えばいいだろう」
必要ないと言われようが、引き下がってたまるものか。くだらないものばかり作ってることを将軍に報告してくれ。そうすれば、都に帰ることができる。
「申し上げにくいのですが、夜を忍ぶ密偵には光はむしろ邪魔なものではないかと。その、もっと実戦向きの物を作ってもらえませんか」
「充分実用的じゃないか」
「でも、これじゃいわゆる日用品の類ですから。ほら、炎を纏った矢とか」
「火矢なんて魔法じゃなくてもつくれるじゃん」
「だからそうじゃなくてですね」
困った笑顔が苦笑に変わる。護衛と同時に監視という命を受けている男は言葉を選んでいるようだけど、何を言っても直球だ。よほど不器用で頑固なんて、得する性格とも思えない。
「俺はね、武器工場になる気はさらさらないの。上の命令で来てるけどさ、人殺しの道具なんて作りたくないんだ。平和主義者なの。役に立つ便利な道具作りがしたいの」
魔法は、という魔術学校の先生の言葉を思い出す。魔法は我々の生活をほんの少しだけ便利にしてくれる物だ。よく考え、真に人々の役に立つよう行使しなさい。
「おばあ様と随分違うんですね」
ぼんやりと考えていた頭に、言葉の冷水。何気なく言った一言なんだろう。だけど、それはあまりにも無神経だ。
「あんなババアと一緒にすんなよ。俺は俺なの」
短剣を男の手に握らせたまま、部屋の中に戻る。
「とにかく、俺は俺がやりたいようにする」
焦る男の顔をそこに捨て置き、これみよがしに音を立てて戸を閉める。
少しだけ気が晴れた。
その後にやってくるのはほんの少しの罪悪感。彼が僕をたしなめるのは、それが仕事だからだ。素晴らしい兵器を作っているかどうか、監視する。己の職務に忠実であるからこそ、真面目に忠告をしてくる。
しかし、僕にはどうしても彼が生真面目で頑固なだけの男には思えなかった。だって、彼は忠告こそしてくるが、怠慢な魔術師殿の態度を上に報告したことはないじゃないか。毎日ぼんやりとしているだけで、ロクな成果もあげない魔術師殿を、何だかんだと言っても自由にさせているじゃないか。
「変な男」
相変わらず意欲は頭をもたげそうにないけれど。手近にあった矢をつかみ、たわむれに貫通の魔法をかけた。五回に一回くらいは、役に立ちそうなものを作ってやってもいいと思う。