■クラウディ

 古びたオーク材の机はよく磨きこまれ、見事な輝きを見せている。そっと表面を撫ぜて私は思いを馳せる。ここで白魚のような指が踊り、幾多の美文が生まれたのかと思うと感慨もひとしおである。
「クラウディ」
 口の中で小さく名をつぶやいてみた。それはまるで長年の恋人のように甘い甘い言葉だった。
 その人はどのように生き、どのように愛されたのだろう。壁に掲げられた肖像は聖母のようにほほえみ、世の罪人のすべてを、この私ですら許しているように見えた。
 万年筆やインク瓶がそのままの位置で永遠に戻らぬ主を待つ。伏せられたスノーホワイトの封筒を返すと、流麗な筆跡で人の名と住所が書いてあった。インクの色は琥珀色。私はそのインクの色が特別な意味を持っていると直感した。なぜならその人が普段使うのはブルーブラックのインクなのだ。遺っている原稿や手紙、日記はすべて濃い青で書かれている。琥珀色の文字などない。棚を開ければ箱に入ったままのインク瓶が整然と並んでいる。生前も常にダース単位で青黒のインクをストックしていたという。だからたまたまインクが切れ、やむなく別の色のインクを使ったとは考えにくい。その人はこの手紙を書くためだけに特別に用意したのだ。
 宛先は知らぬ名前、知らぬ住所だった。爪の先で筆跡をなぞる。かさりとも音を立てず爪が滑る。何年も経つのに劣化した様子がない、上等の紙だ。封筒の片隅にはあやめをかたどった印章が印刷されていた。差出人の名はない。あやめの印章があれば差出人は書かずに済んだ。
 知らず、指先に力がこもっていた。すっかり乾燥したインクの一部を爪で剥ぎとってしまう。はっとして封筒を元のように裏返した。その人を傷つけてしまったかのような罰の悪い思いが澱のごとく胸に沈む。粘着力が弱いのか、乾ききった糊は簡単に剥がしてしまえそうだった。しかし私は封を開けるような真似はしなかった。これ以上その人を傷つけたくなかったし、自分の中で作り上げられた像を崩したくもない。開けば間違いなく後悔するとわかっていた。

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