■春鉛
春うらら。
日差し穏やかに桜咲き乱れ、街がやわらかなピンクに彩られる明るい季節。
「蒼凪、蒼凪はいるか?」
教室にこだまする教師の声。しかし答える声はなく、担任は出席簿に何かを書き込む。
新年度、新入学の一発目。初日から欠席とは度胸のある奴もいたもんだ。
俺は空いた席を眺めつつ、机に頬杖ついて次々と呼ばれるクラスメートの名前を聞く。最後は渡利という男子だった。一年B組四十人。欠席は一名。
阿久津と名乗った担任は、あらかじめ配ってあったプリントを出すよう指示し、
「入学式はこの後――」
「すみません、遅れました!」
言うより早く、勢いよく教室の前のドアが開いた。入学の緊張と期待に静かだった教室内に漣が起こる。駆け込んできた男は肩で息をしながら、
「蒼凪壱哉、です! 遅れてすみませんでした!」
折り目正しく頭を下げた。切り揃えられた髪はサラサラで無駄さに爽やか。そして結構足が長いことに気付いた。手も長いし、こいつ、きちんと立てばかなり背が高いんじゃないか?
阿久津は、深々と下げられた蒼凪の後頭部をしばらく眺めていたが、肩に担いでいた出席簿を開いて、また何か書きつける。
「あー、入学式には間に合ったからいい。席につけ。今後は注意しろよ」
蒼凪は一つ会釈すると、俺の方に向かって歩いてきて――俺の前の席に座った。
「あ、えーと」
「和泉。和泉平助。入学早々で悪ぃんだけど、聞きたいことあるだけどいいかな?」
『あ』の次は『い』。最初の席次はあいうえお順。
「お前、身長いくつ?」
「和泉? お前の席は蒼凪の後ろだろ」
入学式も終わり、新入生の心構えもしっかり聞かされ、ホームルームのち解散。下校時間。
教室を出る間際、阿久津が俺と蒼凪を交互に見て言った。
「……見えないんすよ、黒板。こいつがデカいから」
指した先――蒼凪は俺の後ろで苦笑いを浮かべている。
「ああ、お前ちっこいもんなぁ」
「うっせぇ! まだまだ成長期だ! アホ!」
にやにやと笑う担任に思わず悪口が出て、出席簿で思いっきり殴られた。
「担任にアホとはいい度胸だ」
俺を見下げてうっすらと微笑む阿久津。しかし目は笑っていない。
「まあその身長差だとやむを得ないな。席の交換は許可してやる」
蒼凪の身長184cmは前に座っていると本当に邪魔で仕方ない。身長170cmに満たない俺じゃなくてもみんな邪魔だと言うだろう。健全で真面目なお勉強生活のためにもこれは必要な措置だ。
「ただ、それでテストの成績が壊滅だったら殴らせろよ」
そんな言葉を吐いて担任は去っていった。
「ご、ごめんね。和泉君」
「おめーは悪くねーよ」
困り顔半分笑い顔半分の蒼凪の肩を叩こうとして、届かなくて、持ち上げた手を下げた。顔を隠すように自分の机に突っ伏す。
「えーと……」
「なぐさめとかいらない」
まだ伸びると信じているけれど、最近少し自信がなくなってきているお年頃。そんな自分が少しだけ悲しい。
気持ちよく晴れた入学式。新生活に新しい出会いと予感をはらみつつ、こうして俺の高校生活が始まった。