■社内文書

 お久しぶりです。総務部の大原です。
 入社から一年。まだまだ新人の域は出ないけれど、会社にも仕事にもすっかり慣れ、毎日それなりに充実した日々を過ごしています。

 よし、前置きはこれでいいな。
 そこまでをキーボードに打ち込み、俺はその後に続く文章を考える。成長した証を見せるためにも堅苦しいメールのほうがいいか。それとも柔和なイメージを植えつけるために少しくだけたフレンドリーメールがいいか。悩ましい。
 白いメール画面を睨み続けても、もちろん答えが出てくるわけはない。パソコン画面の片隅の時計の表示だけが刻々と変わっていく。
 誤解のないよう説明しておくと、これは私用メールではない。困ったことにこれも仕事のひとつだ。
 今日は三月三十一日。明日でめでたく俺も入社から一年になる。やっと新入社員から二年目のフレッシュマンにランクアップするのだ。もちろん給料とともに。その前に新人最後の義務としてこうしてメールを書いている。
 我が社では新人研修期間を一年と定めている。徹底的にビジネスマナーやらを仕込まれるのは最初の一週間。あとは配属先の業務内容に応じて技術研修なんかもあるけれど、基本的に残りはOJT、現場配属で実際の業務をしながら指導を受けることになる。研修とは言ってもちゃんと教えてくれるのは長くて三ヵ月。残りの半年超は、新人という肩書きは付いてるものの、普通の社員と同じく仕事をしている。
 その名目上は一年の新人研修最後の締めが、今俺が書いているメールだ。人事部長にこの一年の俺の様子を報告をしなければならない。
 まあ、普通ならばただの事務的な報告書で済むのだろう。だけどここで変なことを思いつくのがうちの会社の悪い癖。報告課題は「人事部長へのお手紙」の体裁を取れという。
 「報告書」じゃないんだ。「お手紙」なんだ。相変わらず我が社の奇想天外さには舌を巻く。首からぶら下げた社員証から、一年目の証である若葉マークを引き剥がしながら、俺はそっとため息をつく。
「大原君もついに若葉マークから卒業ね」
 杉野さんが俺の傍らに湯呑みを置く。礼を言いながら茶をすすり、指先にくっつけた若葉マークを振った。
「ええ、ようやくこの格好悪いシールともお別れですよ」
 それを見て杉野さんが小さく笑った。
 今日は通常業務はなし。他の部署は年度末でてんてこ舞いだろうが、この勇者課は人事異動や年度末締めとも無縁なのでのんびりとしたものだった。何より上司が休みである。
 俺と杉野さんは広い事務室に二人きりでいた。空っぽの事務室で若い女性社員と二人きり。男としてはこの上なく魅力的な言葉だけれど、杉野さんも勇者課の一員なのでヨコシマな考えなんて起こりようもない。この小柄な女性が必殺の弓で、大きなモンスターを倒している姿を思い出せば、そんな気持ちも萎えていく。
 かつては二十人を超える大所帯だったという勇者課。この広い事務室はその名残だ。机四つの島が三つあるけれど、実際に使っているのはそのうちの一つだけ。あとは全て物置や作業台と化していた。なぜかガンプラの箱が積み上がっている机と、完成したガンプラが並べてある机があっても気にしてはいけない。
 勇者課も今では俺が所属するチーム四人と課長だけだ。課長は別の課の長も兼任しているから常にこの部屋にはいない。そして四人のうち一人はアルバイトときた。ここに人員を割けないのだ。どんなに有名な会社であろうとも、いかに懐具合が厳しいのかがわかる。
「そうだ。杉野さんもお手紙って書きました?」
 困ったら経験者に聞くのが一番だ。そしてそれは俺がこの一年で学んだ最大の教訓でもある。先達の意見はしっかり聞くべし。
「うん、書いたわよ。私の時は三輪さんが部長だったから、何でもありって感じだった」
「いいですね。三輪さんなら何でも許してくれそうだ」
 三輪さんとは今は常務をやっている人だ。おおらかで親しみやすい性格で、社内で一番と言ってもいいくらい人気がある。
「今は丸山さんなんですよ」
「ああ、あの堅苦しい顔でつまんない冗談言う人」
「そうです。だからどんな風に書いていいか悩んでしまって。人事部長って勇者課の仕事知っているんでしたっけ」
 どうだったかしら、と杉野さんは頬に手を当てた。
 勇者課はその特殊さゆえ、一般社員には業務内容を極秘にされている。名目上は総務部の一部署で、社会貢献活動を行っているということになっている。あながち間違いではないけれど。
「人事部長と言えばこの会社の出世コースの中継地点だし、知っててもおかしくないと思うわよ。三輪さんだって知ってたもの。あけっぴろげに書いちゃえば」
「本気で書くと長くなるんですけどね」
 言いながら俺は頭をかく。
 知っているならありのままを書けばいい。この一年で下っ端勇者として五つの世界を救ったこと。他企業と提携してダンジョンの大掃除をしたこと。おかげさまでちょっとやそっとじゃ風邪を引かない身体になったこと。たった一年で相当レアな体験をさせてもらった。
 だけどそれって普通の会社員の業務報告じゃないよな。報告書からもかけ離れて、まるっきりファンタジー小説だよな。しっかり隅々まで書いたら本にできてしまう気がする。一点残念なことがあるとすれば、俺には文才がない。
「どうしようかな」
 提出締め切りはまだ少し先だった。しかし、暇なうちに書いておかなければ書く機会を失ってしまう。上司、いや、班長が出社してきたらまた異世界で勇者業に励まなければならないのだ。
 あ、説明忘れてた。
 俺が配属されているのは総務部勇者課。大抵の有名巨大企業ならやっている社会貢献事業の一つを専門にやっている課だ。業務内容はその名の通り、危機に瀕している異世界を救う勇者をすること。
 笑うなよ。俺たちは毎日が命がけなんだ。剣を持って鎧を着て、大真面目に魔王を倒しているんだ。
 そう、普段が身体を使う仕事なだけに、俺は文書仕事は苦手だった。持ちまわりで業務日誌は書くけれど、内部文書だからいつも簡潔に箇条書きだ。いわゆるビジネス文書なんて数えるほどしか書いたことがない。
 ちなみにうちの班長も机仕事は苦手としている。俺と同様に入社と同時に勇者課に配属されたからだ。以前は別部署にいた杉野さんだけは素晴らしい早さとクオリティで書類を処理する。
 俺も班長も、別の部署に異動してまともに仕事できるのか甚だ不安ではある。
「おっす、休んでるか」
 すっかり煮詰まった頭に知ってる声が聞こえてきた。ワイシャツに綿パンツというラフな姿の石岡先輩は、ずかずかと大股に事務室に入り、俺の隣にどっかりと座る。「あらあらお疲れ様です」なんて言って杉野さんは石岡先輩の分もお茶を入れた。
「イギリスで学会だったんじゃなかったんですか」
 石岡先輩は社員じゃない。時々アルバイトに来ているだけで、本業は大学の先生だ。こっちにいる時間のほうが長いから勘違いしそうだけれど、あくまで勇者は副業だ。
「今朝帰ってきたんだ。いやー、噂通り飯不味かった。はい、土産」
 そう言って石岡先輩は飯が不味い国のお菓子をくれた。タータンチェックのパッケージに入った、見た目は普通の分厚いクッキーだ。でも不味い国で作られたお菓子だ。杉野さんはパッケージに鼻を近付けている。さすがに箱の外から匂いはしないと思うのだけど。とりあえず何か納得したらしく、杉野さんはいそいそとお菓子の箱を開けた。
「今日は小林先輩いないんですよ」
 俺はメールの下書きを保存してウィンドウを閉じた。休憩も必要だ。
「知ってる。鬼の霍乱でぶっ倒れたんだろ。あいつ馬鹿だから冬は平気なんだけど、ありえない時期に体壊すんだよ」
 呆れたように石岡先輩が言った。我が勇者課唯一のチームの班長を勤める小林先輩と、石岡先輩は学生の時からの付き合いだとかで仲がいい。お互いのことをよく知っていて、チームワークも抜群だ。こういうのが親友だと思うのだけれど、本人たちに言わせるとただの腐れ縁らしい。
 そう、俺らの班長こと小林先輩は今日は休みだった。身体が丈夫で健康だけが取柄のような人なのに、今朝、とんでもなく掠れた声で電話がかかってきた時は驚いた。杉野さんなど驚きすぎて小林先輩作のガンプラを一個床に落とした。しかもその衝撃で赤いロボットの角が折れてしまった。
 勇者業は四人一組で行動するのが基本だ。もっとも、俺のチームはうち一人がアルバイトの石岡先輩で、常時いるとは限らないので三人で行動することもあった。だけど、さすがに二人ではどうにもならない、誰かが休めば勇者課の部屋で一日待機となる。
「様子見るついでに粥作って食わせて薬飲ませてきた。明日か明後日にはけろりとした顔して出てくるはずだ」
 杉野さんが淹れたお茶と、自分が買ってきたクッキーを口に運ぶ。クッキーを齧った口が、声に出さずに「甘すぎる」と動いたのは見逃す俺ではない。俺も食べてみたけれど本当に甘い。クリームが挟んであるわけでもなく、砂糖がかかっているわけでもないのに無闇に甘い。
「先輩」
 俺は茶を一気に煽ってから、真面目な顔をつくって石岡先輩に向き直った。
「なんだ」
「男が男の看病するって疑問に思わないんですか」
「言うな」
 三十路目前の石岡先輩。頭を抱えてデスクに突っ伏す。その背中を見て杉野さんがくすくすと笑い、「仲がいいのは悪いことじゃないですよ」なんて慰めにもならない言葉をかけた。

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