■年末商戦

「ホイミン! こっちに回復!」
「え? ホイミン?」
「お前だ、大原。諦めて行って来い」
「ええー。先輩が行ってくださいよぅ」
「俺は回復はできん」
 年の瀬迫る今日この頃。みなさんお元気ですか。勇者課の大原です。相変わらず大きな病気も怪我もなく、順調に業務をこなしています。
 今年は魔王退治という大型案件も数件こなし、ノルマも楽々とクリア。最近は業務自体に余裕も出てきて、休日出勤も残業もなし。定時で帰れる日々が続いています。
 そう思っていたんだけど。
 そう甘くないのが年末である。どこの部署も暮れに向けて大わらわ。年末年始に休みを確保したい一般事務とか、人の少ない正月を狙ってあちこちの業務システムを更新するシステム部門とか、クリスマスや年末年始のセールで販路と販売を伸ばしたい営業部門とか、まあとにかく社員は誰もが自分の思惑のために忙しげに立ち働いている。
 誰でも知っている大企業ともなると、様々な商材を取り扱うもんだから、まとまりないのも当たり前。ただ年末の忙しさだけは誰にでも平等に降ってくる。
 そう、俺達勇者課にも。
 社内ダントツの福利厚生を誇る部署だったはずだが、哀れにもそんな年末の忙しさに巻き込まれ、泣く泣く休日出勤となった。
 そう、今日は泣く子も黙るクリスマスイブ。しかも日曜日という世間様はお休みの日。
 俺達は出勤、つまり異世界にいた。
「いくら人員不足ったって、なんでまた東雲堂と協働なんですか」
「上の意向だ。諦めろ」
 ホイミをかけて戻ってきた俺は、小柄なオークを足蹴にした小林先輩にぼやく。
 今日はいつものパーティーメンバーではない。俺達二人と、東雲堂の二人で四人パーティーを組み、仕事にあたっていた。
「こんな嬉しくないダブルデート、初めてっすわ」
「奇遇だな。俺もだ」
 俺達がエスコートしているのは東雲堂の名物係長、長谷川さん。あの露出度の高い双剣の女戦士だ。最近、課長代理に出世したと聞いたので、それなりにそれなりなお歳らしい。そんな妙齢の女性がクリスマスに仕事、というところに少々同情してしまった。ホイミン呼ばわりされるまでは。
 もう一人はやはり東雲堂の新人、星さん。小柄な魔法使い。割とかわいい子なのに、クリスマスイブに予定がないというのも不思議だったのだが、こっそり聞いたら長谷川さんに無理矢理出勤させられたと言っていた。彼女もまた、被害者なのである。
 小林先輩が足蹴にしていたオークをロープで縛り上げる。こてんぱんにやられたオークは逆らう気力も悲鳴を上げる元気もないようで、ぐったりと俺が成すままになっていた。オークとは直立歩行する豚の魔物だ。あまり頭は良くないが、力が強いので暴れられたら厄介だが、この状態なら心配はない。縄を巻きながら、焼豚を思い出したのはここだけの話だ。
「杉野さん、今頃クリスマスデートなんだろうなぁ……」
 そんなことをしながらまたぼやくと、手伝う気配もない小林先輩が俺につられたのかぼやくように答えた。
「市原さんから聞いたんだが、古橋、ディナークルーズ予約していたらしいぜ」
 うわぁ、と思わず声が出た。さすが掃除の市原さん、何でも知っている。杉野さん、早々に月曜に休暇を取っていたから薄々予想はついていたが、やはりデートだったわけだ。社内恋愛中の営業部古橋さんとの仲は順調らしい。羨ましい。爆発してしまえ。
「石岡さんは?」
 もう一人、嘱託の石岡先輩も月曜は休みだった。この人は嘱託だけあって一週間フルタイムではないので、月曜が休みだろうが火曜が休みだろうが気にしないのだけど、さすがにこればかりは気になる。
「あいつ、クリスマスはいつも駄目なんだ。大学ん時からそう」
 小林先輩と石岡先輩は学生時代からの付き合いだと聞いていた。親友なんですねと言うと二人とも嫌な顔をするくらい仲がいい。
「ま、まさか石岡さんにも彼女が……」
 嫌な想像が脳裏をよぎる。石岡先輩はちょっと意地悪なところはあるけれど、頭はいいし面倒見もいい。たしかに特定のお相手がいても不思議ではない。
「実家だよ、実家。あいつの家、クリスチャンでさ。クリスマスは家族で過ごすべしという厳命。何でも亡くなったひいばあちゃんの遺言だそうだ」
「ああ、そうなんですか……うらやましいようなそうでないような」
 何故かホッとして胸を撫で下ろした。時には冷酷な鬼と化す石岡先輩が敬虔なクリスチャンというのが意外だったが、日本は信仰の自由を保障されている国なので、これ以上は不問とする。
 縛り上げた焼豚もといオークを転がし、壁際に寄せる。豚の丸焼きっておいしいのかな、などと眺めて思う。
「でも俺らみたいに予定ないよりはマシだよな」
 小林先輩、それは言わないお約束です。
「俺、こんなところで先輩たちと過ごすより、一人でパーティーバレル食いながら明石家サンタ見ていたほうがいいです」
「奇遇だな。俺もだ」
 剣についた赤くない血をさっと拭い取り、小林先輩はそれを鞘に納める。
「さあ、親玉は目の前だ。さっさと終わらせてラーメンでも食いに行こう」
 今日の案件は洞窟を根城にするオーク一味の殲滅。近隣の町や村を襲っては略奪の限りを尽くすという邪悪な豚野郎だ。国の自警団でも歯が立たず、かといってたかだかオークごときに騎士団の一個師団を投入するわけにもいかないということで、勇者課に依頼が来た。
 正確には依頼を受けたのは東雲堂で、俺達はただのヘルプ。協働というと名目は立つが、要するに暇人の寄せ集め集団だ。どこもかしこもクリスマスだのなんだのと浮かれている中で、豚とと共に過ごすブラッディクリスマスである。
「あ、ラーメンなら天下一品がいいです」
 いつもなら豚骨と言うところだけれど、豚退治の後に豚を食べるというのもなぁと思い直した次第。それでもチャーシューは食べるけれど。
「うえー、あんなのの何がいいんだよ。二郎行こうぜ、二郎」
 しかし先輩は実に嫌そうな顔で俺の提案を一蹴する。さすがに“あんなの”呼ばわりはカチンときた。あのこってりを通り越してもったりとしたスープがいいのに、理解してくれないとは嘆かわしい。
「先輩こそ、よくあんな豚の餌みたいなの食えますね。あいつらと同類なんじゃないですか?」
 あいつ、と片隅に転がしたオークを顎で指す。
「おめー、上司に向かってよくそんな口利けんな」
「そりゃこれだけ虐げられれば俺も強くなりますよ」
「あぁん? ここでお前のクリスマス終わらせてやろうか?」
 どこぞの田舎ヤンキーのごとき台詞とともに背中の大剣を抜く小林先輩。俺も負けじと腰に吊っている愛剣を抜く。先輩の剣術は剣道をベースとしている。その独特の剣術は初見では脅威だが、俺は入社時からずっと太刀筋を見てきた。それに俺もそれなりに鍛錬してきている。見切るくらいならできる。
 俺と先輩は一旦距離をとるが、睨み合いながらじりじりと間合いを詰める。先輩の両手剣は身長ほどの大きさがある。俺の剣が届く間合いに入るには、どこかのタイミングで一気に詰めなければならない。半端な距離ではあの馬鹿でかい剣で頭蓋を叩き割られるだけだ。
 グリップを握る手に汗が滲む。
 世間はクリスマスとかいう異国の祭りに浮かれている。たかだか一宗教のお祭りだってのに、どっかの業界の陰謀でカップルがラブラブする日とすり替えられ、街には幸せそうな二人連れで溢れている。一人で繁華街を歩けば視線は痛いし、予定がないと言えばかわいそうな目で見られる。そう、あの杉野さんでさえ、トーンを落とした声で「ごめんね」と俺に言ったのだ。
 なんだよ。一人じゃ悪いのかよ。
 声に出せない叫びは力となった。剣を握る力はいつもより強く、振り抜く速度はいつもより速かった。おそらくそれは小林先輩や長谷川さんも同じだったのだろう。いつも以上の気迫をもって猛烈な勢いで剣を振る二人の姿はまるで鬼神。その背後に渦巻く炎のようなオーラを幻視する。古今東西の漫画小説では愛する者がいれば強くなれると説いているが、嫉妬の炎だって負けてはいない。同じ境遇とは言え、ちょっと近付きたくないくらいに。
 けれどオークごときを蹴散らすぐらいでは憂さ晴らしにならなかった。
 豚野郎どもと俺達では雲泥の差があった。例えるならば、大人が子供をいじめるのに等しい。
 俺達は強くなりすぎたのだ。
 だからもうフラストレーションが溜まっていた。溜まりまくっていた。それを今ここで小林先輩にぶつけられるのならば、それもまた良いだろう。
 弱い者いじめなんてつまらない。やるなら強い相手がいい。
 そして俺は、“あんなの”呼ばわりされた天下一品の仇を取る。
 静かに息を吸い、止めた。正眼に構えた剣の向こうに、大剣を上段に構える先輩がいる。先輩の身体はいつもよりずっと大きく見えた。気迫に負けそうになるが、己の心を奮い立たせる。
 鉄板を仕込んだブーツの底がじゃり、と音を立てる。
 二人の間の糸はいっぱいまで張り詰めている。己の呼吸の音ですら耳障りだ。
 相手から目が離せない。肩の筋肉は弛緩している。いつどこからどのような攻撃が来てもいなせるように、身体は緊張を解いてやるのが強い戦士の秘訣だ。
 勝負は一瞬だ。上段の構えをとっているということは、一撃で決めるつもりに違いない。
「は――」
 気合を腹に込めた。その時だった。
「むさいわー!」
 がつん、という音とともに目の前が真っ暗になった。殴られたのだと理解した時には俺の視界は暗転し、同時に身体がぐらりと傾いだ。走馬灯すら流れなかった。
 すぐに目が覚めた。しばし意識を失っていたが、地面に倒れ込んだ衝撃で嫌でも現実に戻ってきた。
 洞窟の湿っぽい地面に這いつくばる俺が見たのは、同じように無様に這いつくばる小林先輩だった。その背中を赤い具足が踏みつけている。
 そう、東雲堂の長谷川さんだ。
「男ってのはどうしていつもそうなのよ。何かあればすぐに脱線するんだから。内輪揉めしてる暇ないってわからないの? ちゃっちゃと終わらせてちゃっちゃと帰るべきでしょ。社会人として! 時間内に仕事終わらせられない会社員は無能なのよ!」
 小林先輩を踏みつけたまま、長谷川さんは抜身の双剣で見栄を切る。この人、派手なのは化粧だけではない。
「長谷川さん、以前は海外事業部にいたので労働観念がアメリカ寄りなんですよ」
 俺のそばにしゃがみこんだ星さんがこっそり教えてくれる。海外事業部なんて花形部署にいた人がなぜ勇者課にいるんだろうと思ったが、余計なことは言わないことにした。この状況でそれを言ったらますます怒りを買いかねない。
「わざわざこの私がクリスマスイブにまで出勤してきてあげてるのよ? アメリカでは家族でゆっくり過ごす日なのよ? 仕事だなんて冗談じゃない!」
 大仰に怒りをあらわにする長谷川さん。
「予定ないから仕事させられてんだろ」
「予定あったんですか」
 思わず先輩と俺の口から同時にそんな言葉が漏れた。
「黙れホイミン! そして脳味噌筋肉!」
 踏まなくてもいい地雷を踏んでしまった。わかりやすく激昂した長谷川さんの足がぐりぐりと先輩を踏みにじる。鎧を着ていてもそれなりにダメージが入るらしい。踏みにじられて先輩は呻いている。ハイヒールでこそないが、あのブーツの踵はさぞいたいだろうなぁと俺にとっては他人事。
「誰が脳味噌筋肉だこの野郎!」
「あんたのことよ」
 反論はするけれど、踏まれた蛙なのでじたばたすることしかできない小林先輩。先程まで本気の殺気を飛ばしていた相手だけれど、さすがに可哀そうになってきた。
「いい? あんたはそっちのチーフかもしれないけれど、今のパーティーリーダーは私。だからおとなしく私の指示に従いなさい」
 足蹴にしたまま眼光鋭く先輩を睨みつける女王陛下。ああ、あの目見たら俺の股間まで寒くなってきたわ。
「長谷川さんって怖いですね」
 ぼそりと呟いたら「あはは……」と星さんは苦笑いだけ返してくれた。
 ふと思い立ち、俺は這いつくばったまま腰のポーチに手を回した。そしてそこから携帯電話を取り出し、カメラモードにし、
「ハイ、チーズ」
 ピロリーンとなんとも間抜けな音が洞窟に響く。煽りの構図で小林先輩と長谷川さんを撮った。
「あはははははは」
 あまりにもいい写真が撮れてしまった。驚く二人の顔がまたいい味を出している。俺の頭上から携帯電話を覗き込んだ星さんも「ぶっ」と吹き出す。
「先輩、お似合いですよ!」
「大原あああああ!」
 小林先輩がその携帯を寄越せとばかりに手を延べてくるが、長谷川さんの踵でしっかり地面に縫い止められている。顔を真っ赤にして額に浮いた血管も切れんばかりの勢いだが、身動きの取れない先輩なんて怖くもない。
 そうだ、この写真後で石岡先輩や杉野さんにも回しておこう。日頃の恨みがこの程度で済むのだから、むしろ感謝して欲しいくらいだ。
「ねえ、大原さん」
 じたばたする小林先輩と高笑いする長谷川さんを尻目に、星さんが俺に耳打ちしてくる。なお、俺はようやく起き上がって地面にあぐらをかいていた。上司二人はいまだにぎゃーすかとやりあっている。
「アドレス交換しませんか? よければ今度かわいい子紹介しますよ」
 にっこりと微笑む星さんがまるで女神に見えた。「喜んで!」とどこぞの居酒屋チェーンのような返事をし、そそくさとアドレスを交換する。名刺なんて味気ない物の交換ではない。携帯電話の赤外線通信で互いのアドレスを受信する。
 女の子の連絡先を教えてもらうなんて、何年振りだろう。たとえそれが社交辞令であるとしても、交換したことはまず事実だ。
「仕事が終わったらご連絡しますね。何だったらうちの社員と合コンも面白いかもしれませんね」
 と、星さんは笑う。化粧品会社の女の子なんてレベル高い子ばかりなんだろうな、と夢が広がる。俺の手駒がどうにも貧弱なので、彼女達に釣り合うかどうか不安はあるけれど、仮にも有名企業なのでネームバリューでどうにかなると信じたい。
「長谷川さんには内緒ですよ」
「小林先輩にもな」
 ここからどう発展していくのかはまた別の話だが、俺と星さんの下っ端コンビは、騒がしい上司コンビを見て笑い合うばかりだった。

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