■our song
それはとてもありふれた家族の日常。
小さなソファに並んで座り、私が入れたコーヒーを飲みながらホームドラマを見る。
お砂糖はスプーンに半分、ミルクはたっぷり。優しい味のコーヒーは心も優しくしてくれる。
休日の昼下がり、少しだけ古いドラマの再放送は見ても見なくてもいいような陳腐な内容で、お父さんは私の隣でうとうとしている。静かな横顔が少しだけ青い。
最近忙しかったもんね。
その手から落ちかけたマグカップを取り、そっとテーブルに置いた。同じ大きさのカップが二つ並ぶ。お父さんのは青、私のカップは緑。去年、四個セットで買ったうちの二つだ。
残りの二つ、ピンクと黄色はカップボードの中で出番を待っている。
「あ、ごめん。寝てた?」
カップを置いた小さな音に、お父さんがはっと目を覚ました。白い顔に焦りが浮かぶ。
「寝てていいよ。今日くらいゆっくり休んで」
でも、と開きかけたお父さんの口をクッションで塞いだ。
「私がいいって言ったらいいの。夕飯も私が作るから寝ててください」
ぐぐっと力を込めてソファに身体を押し付ける。
お父さんは背は高いけれど力がなくて、私みたいな女の子の力にも抵抗できない。男としてそれはどうなのと思うけれど、痩せた身体を見れば溜息をつくしかない。
私の言葉に納得できないのか、せっかくの休みなのにとかなんだとかクッションの下でもごもご言っている。その様子がちょっとおかしくて吹き出してしまった。
「笑うなんてひどいな」
どうにかクッションの下から這い出して、私の胸に返してくる。肌触りの良いワッフル地にほんのりと温もりが残っていることに気付き、また口元に笑みがこぼれた。
「コーヒーのおかわりいる?」
片手でクッションを持ったまま、もう片手で空のマグカップを持ち上げてみせた。
「後でね」
言いながらお父さんはソファに座り直す。そしてぽんぽんと自分の隣を叩く。
私は素直にそこに座る。改めて思えばこうやって隣に座るなんて久しぶりのことで、いつも見上げている顔が近くにあるのが少しだけ照れくさい。
「よくここまで大きくなってくれたね」
私の頭に手を置いて、くしゃりと髪を乱す。幼い頃にしてくれた時と変わらない、大きくて温かな掌。
「子供扱いしないでよ」
ふくれてみせたつもりだったけどどうだろう。今のお父さんみたいな顔をしているのかもしれない。目尻が下がった締まりのない顔だ。
「お父さんにとって零はいつまでも子供だよ」
頭を撫でられたまま、私はソファの後ろに手を差し入れて小さな包みを取り出した。浅葱色の布袋に黄色のリボン、そして赤いカーネーションの飾り。
今朝、こっそり隠していたものだ。ソファの上に正座して、少し崩れたリボンを整えてからお父さんに差し出した。
「いつもありがとう。大変感謝しています」
「これ、」かしこまる私に、お父さんは面食らっている。「僕、男だよ?」
「いいの。お父さんは男の人だけど、お母さんもしてくれたもの。私のたった一人の家族だから、お父さんでお母さんなの」
戸惑いと苦笑いが消えた。すかさず私は包みを手の中にねじ込む。
「ありがとう」
ありがとう、ともう一度口の中で小さく呟いて、お父さんはそっぽを向いた。目が潤んでいたのは見逃してあげよう。
つけっぱなしのホームドラマはいつの間にかラストシーンになっていた。大勢の人から祝福される中、教会で指輪を交換するシーンだ。真っ白いウェディングドレスがまぶしい。
「お嫁さん綺麗だね」
「そうだね」
私から見えないように目尻を拭ったつもりなんだろうけど、しっかり見えていた。
「早くお嫁さん見つけなよ」
気付かないフリをして、素っ気ないフリをして言ってみた。
「零こそ、早く彼氏連れて挨拶にきなさい」
「連れてきたら泣くくせに」
言い返すとお父さんは見事に言葉に詰まった。男は怖いと言い聞かされてきた十年あまり。私が男の人が苦手になっちゃったのは誰のせいだろうね。
しどろもどろの言い訳に、はいはいとおざなりに返しつつ立ち上がる。
「コーヒーのおかわりいれてくるね」
私たちの家族が増えるのも、残り二個のカップの出番も当分先になりそうだ。