夜中の汽笛――百の恋愛物語
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サクラサク


 バレンタインデーは、女の子が男の子にチョコをあげて告白する日。甘いチョコレートに気持ちを乗せて、ちょっぴり勇気を出す日。言うなれば女の子の決戦日。
 なのに、バレンタインに女の子にチョコをあげて告白する男なんて聞いたことない。


 盛大に頬でも張られたのだろう。弾けるような音が辺りに響いた。
「あたしのこと疑ってたの!?」
 ヒステリックな女の声。やがて角から走ってきて私の目の前を通り過ぎる。滲んだ目が一瞬だけ私を見た。何であんたがいるの? そう言っている目だった。
 無理もない。ぐるりとめぐらされた学校の塀。そしてそれに沿うように走っている細い路地。見通しが悪いと評判の道にはお粗末なミラーしかなく、角に立つ自動販売機の陰に入れば誰も気付かない。たとえ、そこがちょっとした広場になっていたとしても。
 私は自動販売機横のベンチに座って事の成り行きを見守っていた。正確には聞き守っていたかな。ここからじゃ角を曲がったところなんて見えやしない。
 彼女の姿があっと言う間に遠ざかり、豆粒ほどにも見えなくなった頃、ゆっくりと彼が角から姿を現わした。左の頬を押さえている。
「やられたね」
「しょうがないよ」
 しょんぼりとした顔に無理矢理笑顔を作り、青山は言った。


 ここでしばし話は数週前に遡る。


「最近、彼女が変なんだ」
 青山がそう私に相談してきた。
「うん、知ってる」
 そんな私はかりんとうを食べながらテレビを見ていた。昼過ぎから始まる時代劇はひそかに毎日の楽しみになっていた。
「知ってるなら早く教えてよ! 僕、不安でしょうがないんだ!」
 コタツに突っ伏してうわーんと泣き出す青山。ご近所で評判の色男もこれでは台無しである。
「んなこと言ったって、私もあんたも受験生なんだよ? 本当は会って話す暇もないんだからね」
「そんなことわかってるよ。わかってるけどどうしようもならないのが彼女なんだよ。待ち合わせして一緒に帰るのが日課だったんだ。なのに、なのに、最近待ち合わせ場所に来てくれないんだ。心配して様子見に行ったら、僕じゃなくて友達と一緒に帰ってるみたいなんだ。すごく仲がいい親友みたいなんだけど……でも、僕に一言も無いんだよ?」
 彼にしては珍しく、すごい勢いでまくし立てる。よっぽど溜まっていたらしい。
「様子見に行ったってあんた、いつの間に。うち女子校よ?」
「校門の陰でちょっと待ち伏せして後をつけただけだよ」
「うわ、ストーカーかよ」
 法に触れかねない青山の行動には呆れかえる。愛はこうも人を狂わせるものか。
 年も明けてからこっち、私の高校も青山の高校も、三年生は自由学習に入っていた。すでに二か月近くになる。午前中は自由参加の補習、午後は放課後。だからこうして平日の真っ昼間に時代劇を見ることもできるというわけ。ああ、もちろん私は他の時間は勉強してます。青山はどうかわからないけど。
「勉強なんて手に付かないよ! 彼女の真意を知りたいんだ」
 そしてまたわんわんと泣き出す。こんなに女々しい男にどうしてこうもホイホイと彼女ができるのか、私は不思議でしょうがない。
「教えてやるからおとなしくしなさい」
 袋の中から白かりんとうを一掴み出して、青山の前の菓子皿に盛った。
「ほら、お茶!」
 ぐいっと湯呑を押しつける。もはや家族同然の出入りをしている青山は、我が家に自分用の湯呑を置いていた。
 青山は健康十訓が書かれた湯呑みに口をつけるが、
「すみれちゃん……」
 と飲みもせずにまた泣き出した。
 そのすみれちゃん、どうして私が知っているかと言うと、同じ学校の同じ学年だからだった。男子校の青山は何故か私の学校の生徒を彼女にすることが多い。だから嫌でも話は耳に入る。
 特に最近は、彼女に関していい噂を聞かない。
 ここのところ、学校で奇妙な悪戯が頻発していた。まあ、今時マンガにも出てこないような悪質で陰湿な悪戯ばかりだ。
 いわく、階段にピアノ線が張られていたとか。
 いわく、上履きの中に画鋲が入っていたとか。
 いわく、剃刀入りのお手紙が机の上にあったとか。
 いつの時代の話だよ! とツッコミを入れたくなってしまうような嫌がらせのオンパレード。標的は定まっておらず、ただ三年生であることだけが共通していた。それも、推薦で進学が決まった人と合格確実の成績上位者のみ。幸いにしていまだ怪我人は出ていなかった。
 受験ノイローゼの誰かの仕業。
 そんな噂がまことしやかに囁かれた。
 そして、その誰かは他でもないすみれちゃんと言われていた。
「彼女はそんな子じゃないよ。美奈子も知ってるだろう?」
 事の次第を話してやると、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら青山が言った。
 たしかに、件のすみれちゃんはそんな陰湿なことをする女の子ではなかった。かつては華道部の部長を務めていた彼女は、むしろ素直で心優しく、言いたいことははっきりと言ってしまう性格だった。青山は、彼女の女の子らしさと芯の通った性格に心惹かれたのだろう。
 しかしながら、
「すみれちゃん、見られてるんだよね」
「何を?」
「罠仕掛けてるところ」
 そう、状況証拠と目撃談が彼女を犯人と言ってはばからなかった。
「階段の手すりにピアノ線巻きつけていたんだって」
「嘘だ。そんなの偶然だよ。たまたま見つけて取り外そうとしていたのかもしれないよ」
「他人のロッカーに雑巾詰めていたんだって」
「彼女に似た誰かだよ」
「あのね――」と、私はテレビから目をそらして青山のほうを向いた。「――一学年四百人いるって言ってもね、私たちもう三年近くの付き合いになるんだよ。毎日顔突き合わせていたらさすがに全員の顔覚えるよ。それにすみれちゃんを見たのは、他ならぬ彼女のクラスの人なんだよ?」
 見間違いようがない。言外にそう言って、私はまたテレビに目を戻した。地方ローカルのCMが十年前と同じ映像で流れていた。
「絶対、絶対に違うよ」
 青山は力なく否定してまたコタツに突っ伏した。


 そしてここで話を戻そう。


 青山にハンカチと冷えたジュースを渡した。言わずとも青山は缶ジュースにハンカチを巻き、氷嚢代わりに頬に当てた。
「わざとでしょ」
 ベンチに座っていた私は横に避け、青山の分のスペースを空けた。持っていた烏龍茶を一口含む。買った時は温かかったそれも、寒風にすっかり冷めていた。
「何が」
 青山は素直に隣に座った。背もたれに寄りかかって空を仰いでいる。
「彼女にあんなこと言って殴らせたの」
 青山は何も言わない。私は続けた。
「君から告白して付き合い始めてひと月。彼女が君といることがつらくなってるってわかってたんでしょ。だからわざと嫌われるようなこと言ったんだよね。彼女が罪悪感を抱かないようにって」
 赤く腫れた頬の痛みなど紛れてしまうくらい切ないこと。わかってしまうということの残酷さ。
「本当に青山って優しいよね。優しいけど、馬鹿だよね」
 青山は上を向いたままだった。私よりも遥かに大きな手が、双眸を覆っていた。微動だにせず、喉の奥で感情を噛み殺す。
「君の気が済むまでここにいてあげるから。私はそのためにいるんだもん」
 それ以上何も言わず、私は彼の隣に座っていた。


「わかってたんだ」
 少しだけ落ち着いたのか、青山が独り言のように言った。憂いを帯びた声はわずかに震えていた。
「美奈子の話を聞いたときから、犯人は彼女じゃないって」
 でも、青山は全く逆のことを彼女に言った。知っていてわざと言った。
「だって、そんな陰湿な悪戯をする奴が、そう簡単に目撃されるはずないじゃないか」
 たとえ気持ちが離れ始めていても、恋人だと思っていた男にそんなことを言われ、平静でいられるほうがどうかしている。怒りという感情は一番着火しやすくて、一番発露しやすい。
 青山は彼女の気持ちを利用した。
「彼女がしていたのは逆のことなんだ。罠を外そうとしていたんだ。受験ノイローゼだったのは彼女の友人。彼女はそんな友人のすることが許せなくて、見逃せなくて、こっそり後をつけて罠を外していたんだ」
 彼女がいなかったらもっと被害は多かったはずだ。理性を失いかけた人間は何をするかわからない。だから怖い。
 私は黙って既知の情報を聞いていた。ついこの前事件は解決していた。教師陣が本気になればこの程度の事件、簡単に犯人は見つかる。大人を舐めてはいけない。青山に教えてやろうとした矢先に、青山本人がこの様だ。
「僕と一緒に帰れなくなったのも、友人に張りついていなければならなかったからなんだ」
 だけどそれは彼女にとってもいい機会だった。告白されて思わずオーケーしちゃって、頭の中はその人のことでいっぱいになっちゃって。熱に浮かされた女の子は周りが見えなくなる。一直線のラインしか見えなくなる。
 そんな自分を客観的に見直すにはいい時期だった。青山と距離を置いて初めて、青山という人間も客観的に見ることができた。そして彼女は気付いてしまった。
 ようするに、青山はタイミングが悪かったのだ。
「はい」
 リボンがついた小さな包みを青山の膝に載せた。
「何これ?」
 大きな手の下から出てきた目は赤く腫れていた。鳶色の瞳の中には小さな驚き。聞く声はいぶかしげだった。
「ひと月遅れのバレンタイン、兼、彼女代理のホワイトデー」
「どうして」
 どうしてもこうしても、と私は半分不機嫌を装って言った。まともに青山の顔が見られない。
「バレンタイン渡し損ねたから。まったく、二月十四日にチョコ渡してる男なんてあんただけだよ」
「義理?」
「残念ながら、あんたにあげるのはみんな本命なの。知ってるのに聞くんじゃありません!」
「でも、僕、美奈子の気持ちには応えられないよ?」
 知ってる。
 青山は優しいけど、自分のココロに嘘をつけない。私は彼にとっては親友であって、それ以上でもそれ以下でもない。同情して付き合ってやる――なんて青山は嫌がるし、そんなことができるほど器用な男でもない。
 そして、私もそれを望まない。もう充分なほど知っている現実。
「ごめん」
 それでも今は青山の謝罪の言葉が聞きたかった。
 今の親友というポストは本当は嫌だ。でも、私の居場所はそこしかない。


「これ、バレンタインの時に買ったやつなのー?」
 まだ目が滲んだままの青山と家路についた。強がりなのか本音なのか、『2・14』と書かれた包装紙に文句を言う。
「悪いか。今時のお菓子は半年はもつんだよ!」
 もらえるだけ感謝しやがれ、と私は青山の背中を平手で殴った。
「ほら、入学手続きの書類貰いに行こうか!」


 私たちの春は近い。

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