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魔法使いの弟子(1):小説目次/next

 技術というのはどの時代も教えられるものではなく、盗む物である。と、師匠は偉そうにのたまうが、やはり教えてもらったほうが正確なんじゃないかと思う。
「ロウ、後ろだ!」
 師匠の声に振り返り、手にした導体――金属製のステッキを翻した。眼前には銀色の獅子の燦爛とした口腔が迫りくる。銀一色の口内に、鋭い牙がぎらりと光るのが見えた。
「第八番式、ビナーからゲブラーに逆位置で接続、峻厳の――」
 ――柱の下に≪戦車≫を起動、と続くはずの詠唱が途切れる。間に合わない。
「ハッ!」
 朗々とした男の声が短く響き、唐突に僕の体が後ろに引っ張られる。視界がぶれて一瞬白く染まり、バランスを崩して地面に尻餅をついた。
 師匠が起動した≪運命の輪≫だ。力場に干渉して僕を短距離で転送させ、獅子の攻撃を回避させたのだ。未熟な僕はまだまだ長い詠唱が必要だけど、師匠は場合によっては詠唱すらいらない。一瞬で術式を発動できるのは≪魔女≫だからこそ成せる技だ。
 僕がいたはずの場所を通りすぎる銀獅子。その巨体がビルのショーウィンドウに突っ込み、派手にガラスを撒き散らす。しかしそのたくましい体には破片一つ刺さっておらず、身震い一つでガラス片を振り落した。瞳のない目で僕らを見据え、一声咆哮する。するとたてがみが長く長く伸び始め、毛束が融合して触手のようにうねり出した。
「師匠、あいつ何なんですか」
 尻餅をついたまま、傍らの師匠に聞く。
「水銀生物のようだな。無機物に自律機能を組み込むとは腕を上げおった」
 丸太のような太い腕を組んで唸る。赤い刺青を入れた禿頭に、鍛え上げられた肉体の偉丈夫が僕の師匠、セセ師。
「さて、ここでレッスンだ」
 師匠は人差し指を立てて僕に問う。こんな一触即発な場面で何を言い出すのだとも思ったが、付き合ってやらないと怒るので余計な口は挟まない。
「あいつを倒すにはどうするべきか」
「えーと」
 目が泳ぐ。銀獅子は低く唸りながら身構えているが、まだ僕たちに飛びかかってくる気配はない。鎌首を上げた触手がそこら辺の消火栓やら電柱やらを薙ぎ払い、己の凶暴性をアピールしている。輪切りになった消火栓から勢いよく水が噴き出て飛沫が僕らにかかる。
「操っている術者を倒す?」
「馬鹿者。お前、あいつを解析したか?」
「してない……です」
 つい語尾が弱くなる。情報解析は全ての基本。常々言われている言葉だ。現状を良い方向へ持っていくためには常に周囲に気を配り、気になる物があれば解析すべし。科学であれ術式であれ、物事の解決、解釈は解析することから始まる。
 銀獅子への対処にいっぱいいっぱいだったけれど、それは言い訳にならない。並列思考もまた基礎技術であるからだ。
「見ろ」
 師匠が指を弾くと、胸の高さに四角く切り取られた半透明のパネルが現れた。これは触ろうとしても触れない。空間に映し出されたホログラフィーの一種だからだ。局所的に空気の密度を高くし、光を偏光させることで表示させる。口で言えば簡単だが、実際にやろうと思うと素人ではまず無理だ。
 僕は立ち上がって画面を見ようとするが、背が師匠の胸くらいまでの高さしかないのでまったく見えない。爪先立ちで覗き込む。
 画面はちょうどあの銀獅子に重なるように宙に描かれていた。銀獅子を中心として四方八方に線が伸び、Hg何パーセントだの想定重量何キログラムだのといった解析結果が表示されている。
「水銀量はほぼ九十九パーセント。心臓から骨の髄まで全て水銀だ」
「えーと、つまり?」
 馬鹿者、と師匠は僕を小突く。師匠にとっては小突くレベルだけど、普通に拳骨で殴っているのと同じだからかなり痛い。涙目で頭をさする。
「術者に操作されているのなら、操作する電波やら思念やらを受信する仕掛けが必要だ。だがあいつにはそれがない。核となる装置もなければアンテナもない。つまり、あらかじめ組み込まれた命令を実行しているだけで、リアルタイムで操縦されているわけではない」
「ということは、術者を倒しても意味はない、と」
 師匠は深々とうなずく。初めは興味津々だった通行人たちはとうの昔にどこかへ逃げ、この路地には僕と師匠とこの銀獅子しかいない。術者らしき人影も見当たらず、おそらくこいつを差し向けた張本人は遠見の見物と洒落込んでいるらしい。引っ張り出そうにも気配すらしないから厄介だ。
「だけど、あれ水銀じゃないですか。液体金属だから殴ってもノーダメージですよ」
「そうなんだよなぁ。何かと反応させて別の物質にするにしても、水銀だからどうしようもないんだよなぁ。かといってあれだけの水銀をそのまま放置は立派な産廃遺棄だし、無毒化するにも骨が折れるし、どう処理したもんだか」
 無精髭が伸びた顎を撫で回し、眉間に皺を寄せて唸る。≪魔女≫であればできなくはないだろうが、量が量であるだけに面倒であるらしい。何しろ銀獅子はベンツSクラスほどの大きさがある。
「どうすればいいんですか?」
「業者に持ち込むのが一番だな」
 そう言いつつ懐を探り、僕に薄っぺらい機械を投げて寄越した。スマートフォンだ。
「五分やる。一番近くの産廃業者の施設、調べろ」
 そして師匠は無詠唱で術式を起動する。≪隠者≫と≪力≫が両拳に宿り、肘までが光沢のある黒色に硬化した。
 あれで殴られると痛いだろうなと横目で見つつ、五分しか時間がないことを思い出してスマートフォンを操作する。
「無機物の分際で人様に逆らうとどうなると思い知らせてやらぁ」
 銀獅子に負けじと一声吠え、走り出す師匠。あんただって厳密には人じゃないだろ。心の中だけでそう呟いた。


 どうして僕たちが水銀生物なんぞに襲われているのかと言えば、事は一時間ほど前に遡る。
「さすがはセセ先生。お呼びして良かった」
 報告書を片手にグラハム博士が唸る。正確なクイーンズイングリッシュで褒められると悪い気はしない。と言っても、僕ではなくてセセ師なのだけれど。面と向かって師匠を評価されると僕も鼻が高い。
「いやしかしこれは青図ですからね。実験してみなければ実際のところはわかりません」
 賛辞に浮かれることなく、この式はこうなって、と師匠はグラハム博士に解説を始める。僕はその傍らで聴いているが、何を言っているのかさっぱりわからない。化学はまだまだ門外漢で、ここにいること自体に違和感を覚える。
 ここはヨーロッパのとある島国。師匠は昔からの知り合いというグラハム博士に請われて数日前にこの国にやってきた。国立機関で期間限定の技術顧問をやってほしいという依頼だった。師匠は見た目こそ筋肉ダルマだが、≪魔女≫になるだけあって知識豊富な頭脳派だ。そこらの学者が束になっても敵わない論客でもあるので、この手の話はとても多い。≪魔女≫は一般的には人前に出ることを好まないものだが、師匠は人と仕事をするのが好きという一風変わった男だった。
「なるほど。これはすぐにでも取りかかったほうが良さそうだ」
 懐から手帳を取り出し、グラハム博士は何かを書きつける。そわそわと報告書をファイルに戻し、師匠に握手を求めた。
「本来なら夕食でもお誘いしたいところですが、一刻も早く実践したいので失礼させていただきます。これは実に素晴らしい」
「そうしてください。食事はまた後日にでもお願いします」
 グラハム博士は足早に研究室のほうへと戻り、僕と師匠は建物を出た。
 そんなわけで今日も一仕事が終わった。二人で帰り道のパブに入り、一杯ひっかける。博士に褒められた時は真面目くさっていたけれど、やはり嬉しかったらしい。師匠は特に機嫌が良く、ビールを何パイントも煽った。あまつさえ僕にまで勧めてきたわけで。まあよくある酔っ払いのたちの悪い絡み酒だ。僕はまだ未成年だからと拒んだけれど、この国では十六歳から飲酒可能なんだと言われて一杯だけ飲まされた。後で調べたら十八歳からになっていたんだけど。
 師匠は泥酔、僕はほろ酔いで店を出た。この国は街灯が少ない。あってもかなり光量を抑えていて夜はかなり暗い。オレンジ色の灯火に浮かぶ街並みは幻想的な雰囲気で悪くないんだけど、ちょっと一人歩きをする気にはなれない。
 ほろ酔いながらも周囲に気を配り、頭の天辺まで真っ赤になった師匠に肩を貸して宿への道を急ぐ。火照った皮膚は赤で彩られた刺青と同じ色で、どこに絵が描いてあるのかわからない有様だ。師匠が素面だったら全然怖くもないけれど、泥酔親父は戦力になりそうにもない。いざとなれば師匠を置いて逃げよう。そうしよう。そう心に決めて師匠の腕を担ぎ直した。その時だ。
 目の前の道が爆ぜた。
 酔いが一発で醒めた。煉瓦の歩道に、僕の頭ほどの大きさのクレーターができている。目を丸くして立ちすくんでいると、クレーターの中心で黒い影がもぞもぞと動き出した。
 何だろうと目を凝らす暇もなく、それは僕の頬を掠めて通り過ぎていった。
「え?」
 掠めた頬は皮一枚が切られ、一筋の血が流れ落ちる。
 遅れて目を後方に回す。そこには虹色の光沢を表面に這わせる銀色のスライムがいた。スライムとしか言いようがないのだ。表皮は波打って街の明かりを乱反射させる。その図体は乗用車ほどもあり、圧し掛かられたら窒息死するだろうなぁとどこか暢気に思ってしまう。
 暢気に眺めているうちに銀色の塊は激しくその身を捩じらせる。塊から四本の足が出た。細長く先端に房がついた尾が出た。長い鼻っ面が突き出て、狭い額からたてがみが生えた。色こそ全身銀色なれど、それは動物園で見る猛獣その物の姿だった。
 銀の猛獣は大地を四肢で踏みしめ、銀一色の眼をこちらに向けていた。瞳がないにも関わらず、その目には獰猛な光が宿っている。
「えーと……」
 逡巡していると、猛獣は一声吠えた。ビルのガラスがビリビリと震えるような轟音だった。
「……僕たちを狙ってます、よね?」
 獣に人の言葉が通じるものか。猛獣は地を駆け、まっしぐらに僕たちを。
「ボケっとしてんじゃねぇ」
 肩が軽くなった。重力から解放された僕はバランスを失って尻を地面に着いてしまう。腰に下げた導体――術式を使うための金属のステッキ――が煉瓦に当たって軽い音を立てる。
 猛獣の放った猫パンチというには威力のありすぎる前足の一撃。それは僕らの体、あるいは地を抉るはずだったに違いない。空を切ったその足を、交差した太い腕ががっちりと受け止めていた。
「じゃれてくるにはちっとばかしデカイんじゃねぇか」
 赤かったはずの頭はすっかり覚め、禿頭の刺青がくっきりと浮かび上がる。腕を頭上で組んだまま、鉄板を仕込んだブーツの底で獣の腹を蹴り付ける。表面がわずかにたわんで衝撃を吸収した、かと思われたが、鉄球でも食らったかのように獣は後方へと吹き飛んだ。おそらく足裏に術式を載せて放ったのだろう。人の膂力ではありえない力だ。
「し、師匠」
「いつまでへたれてやがんだ。死にたくなかったら立ち上がれ!」
 商売柄、命を狙われることは少なくないという。つまり、≪魔女≫である師匠について回る僕にもその危険は常に付き纏うわけで。アレは自然発生したものではなく、同業者の誰かの仕業だということは想像に難くない。
 師匠の叱咤に滲み出た額の冷や汗をぐいっと拭い、導体を支えに立ち上がる。アルコールは少し残っているが、思考を鈍らす程度のものではない。むしろ体温が上昇しているおかげで体が軽い。一方の師匠はというとまったくの素面のようだった。おそらく術式で体内のアルコールを瞬時に分解したのだろう。極めれば体内の代謝活動すらコントロールできるのが《魔女》というものであると言っていた。もっとも、気分よくなりたいという理由で飲んでいるので、滅多にそんなことしないらしいが。
「師匠、あれは……」
「おそらく奴の差し金だ」
 ああ、と僕は思わず溜息をつく。こんな島国まで追ってくるとは実に執念深い。黒曜石のような瞳を思い出して苦い笑みが口元に浮かぶ。
「ったく、こんな夜くらい好きに過ごさせてくれよ。無粋な奴だ」
 ずり下がっていたズボンのベルトを締め直し、師匠は虚空に声を放つ。
「おい、ユゥヒ。聞こえてんだろ! 俺に文句あんなら直接言え!」
 けれど応える声はなく、どこか遠くの消防車のサイレンが聞こえただけだった。
「ったく、あの阿呆は」
「不肖の弟子ってやつですか」
「あんな勝手に飛び出したやつ、弟子でもなんでもねぇ」
 師匠は深く息を吸い、腰だめに構える。少しだけ体を斜めに開き、いつ飛びかかられても反応できるように重心を置く。弟子入りした当初は師匠の一挙手一投足の意味がわからなかったが、四六時中一緒にいることで覚えてきた。これが習うより慣れろというやつなのかもしれない。
「このでかい猫をぶっ倒して引っ張り出すしかねぇな」
 腹の虫が収まらないとばかりに大きく息を吐く。
 だけど僕は知っている。師匠は頭を使うことと同じくらい、喧嘩が好きなことを。

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