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魔法使いの弟子(2):back/小説目次

 そんなわけで僕と師匠は、兄弟子ユゥヒの刺客と思われる銀獅子を相手に大立ち回りを演じていた。これが芝居であったならば、刺青入りの禿頭に鋭い眼光の師匠は悪役であったに違いない。
 腹の底から吠えて銀獅子と死闘を繰り広げる師匠。その一方で、小さな端末片手に調べ物をする僕。僕は師匠のような武闘派じゃないからこうやって調べ物をしているほうが性に合っているんだけど、すぐ目の前で命のやり取りが行われていると思うと落ち着かない。端末を操作する手も滑る。
 こんな時、SF映画のように電脳世界にダイブできたらいいのになと思う。周囲の環境に左右されず、ネットの中だけに集中できる。幼い頃からそんな漫画や映画を見てきた僕は、未来技術に途方もない憧れがあった。
 そして≪魔女≫の技術ならばそれも可能かと思って弟子入りしてみたものの、現実はそう甘くもなかった。門外不出とされている≪魔女≫の技術でも、コンピュータに入り込むなんて芸当は実現していなかった。≪魔女≫の技術は科学技術の一歩も二歩も先をいっていると聞いていたが、ベクトルが違いすぎていて、科学技術に寄り添うようなものはほんの一握りだった。科学と理論が似通っていても限界はあるし、所詮技術は技術にすぎない。
 魔法は万能ではない。
 そんな現実を思い知っても、僕は≪魔女≫の弟子を辞めなかった。それは知識そのものに魅入られてしまったからで――
「出た!」
 歓喜に震えるかと思った瞬間、腹に鈍い衝撃が走った。地に着いていたはずの足が浮き、煉瓦塀に叩きつけられる。衝撃に備える間もなく、受け身を取れなかった僕は無様に道に転がる。
 痛い。苦しい。
 そんな言葉も出ない。霞む目で見えたのは、電柱ほどの太さもある銀色の触手だった。僕を薙いだ太い触手は蛇のように地をうねり、本体へと戻っていく。
 口内に錆の臭いが溢れ、たまらず唾を吐いた。赤い花が地面に咲く。打ちつけられた時に口の中を切ったらしい。量はさほどでもないから内臓は無事だ。多少内出血してるかもしれないが、破裂していないだけマシと思う。
「悪ぃ、一本逃した!」
 触手を絡め取っている師匠が叫ぶが、安全を確保できなかった僕にも責任はある。自己防衛くらいできないとかえって師匠に迷惑をかけてしまう。
 導体を支えに立ち上がる。膝が笑って仕方ない。なんてひ弱な身体だろう。たかだが一発食らっただけでこのざまだ。何発も貰っているはずの師匠のほうが元気なくらいだ。
「第八番式――」
 集中。思考を分割。視線は端末に注いでいるが、視界の片隅には銀獅子の姿も捉えておく。
「――ビナーからゲブラーに逆位置で接続――」
 導体がほんのりと熱を帯びる。導体を中心として周囲のエネルギー配置が変わり、ついでに増幅したことでエネルギー総量も変化する。もちろん目には見えない。感覚で捉えることこそ、科学には成し得ない術式の技術の一つである。
「――峻厳の柱の下に≪戦車≫を起動!」
 早口で唱え切った。視界の隅には、蛇のように鎌首をもたげた触手が数本、こちらへ襲来してくるのが見えた。口が割れた先端には鋭い牙が並び、街灯を反射してきらりと光る。どうしてもこちらに食らいついてきたいらしい。僕なんか食べたところでおいしくもないのに。
 その水銀蛇は、僕まであと数センチというところで頭が弾け飛ぶ。いや、見えない壁にぶち当たり、べちゃりと潰れたのだ。次々と当たっては砕け、形を失った水銀が僕の頭上数センチから地面へ、半円状に流れ落ちていく。
 まずまずの出来。≪戦車≫による防護の術式だ。僕を中心に見えない障壁を張り、敵の侵入を防ぐ。壁の強度は術者の力量に依存する。今の僕ではよくてコンクリート程度の物しか生み出せないが、爆発物でもなければ充分だ。
 これで安全は確保された。銀獅子そのものは師匠がかなりの勢いで牽制しているので、僕に攻撃が集中することはないだろう。改めて手元の端末に目を落とす。
 端末が表示しているのはここから数十キロ、郊外にある無骨なコンクリート造りの建物の写真。看板もなく、説明がなければ何の工場か見当もつかない。別のデータベースから拾ってきた施設の見取り図を展開させ、大まかに設備の場所を把握する。続けて施設がある地図を表示、経度と緯度を取得する。
 そこから更に設備単体の場所を座標計算。時間にしてわずか数秒。このくらいの暗算もできないで≪魔女≫の弟子を名乗れようか。
「師匠、出ました!」
「よし、座標をくれ!」
 引き千切った水銀の触手を地面に投げ捨てて師匠が怒鳴る。触手は地面を数度叩いて銀色の水溜りと化し、吸い寄せられるように銀獅子の体に戻って同化した。
 叫ぶように緯度と経度をコンマ数桁まで告げる。ここまで細かく指定すればまず間違いはない。
「気持ちいい夜をぶっ壊したツケ、払ってもらうぜ」
 左手を右腕に添える。開いた右の掌は銀獅子へ向ける。あの掌で、幾つの術式を起動しているのだろう。無詠唱で呼び出されたアルカナが複雑に絡み合い、膨大なエネルギーを纏う。力の流れこそ目には見えないが、握りしめた導体が共鳴して熱を帯びる。僕の手はじっとりと滲み、師匠から目が離せない。
 映画や漫画では魔法を使う時は大抵発光する。けれど現実にはそんな派手なエフェクトはなくて、分子間の干渉でせいぜいプラズマが弾ける程度だ。今もまさに師匠の周囲で小さな放電現象が起こっている。
 頭が痛い。当たり前だ。空気中の分子が振動して事象を起こそうとしている。大雑把に言えば電子レンジの中にいるのと同じ状況なのだ。耳元で高周波を鳴らされ、頭蓋に電磁波を浴びせられている。これが長時間続けば確実に人は狂う。耳を抑える僕もこの場から逃げ出したい衝動に駆られるが、すぐに終わると自らに言い聞かせる。
 こんな中でも故師匠は何故平気な顔でいられるのかと言えば答えは簡単。人間ではないからだ。身体にはあらゆる干渉を防ぐプロテクトをかけていると言っていた。ただの人間はそんなことはできない。ブラックボックスが多い脳ですら自在に操れる≪魔女≫だからこそ、まるでコンピュータのように己の脳を扱える。
 ≪魔女≫の術式は人のままでは扱えない。それは扱いの難しさもさることながら、肉体への負荷が膨大で、ただの人間の身体では耐えられないのだ。
 銀獅子の表面が泡立つ。水銀が気化したら周囲が危険なのではと心配になるが、師匠はそんなことは百も承知なはずだ。目を凝らして見れば銀獅子の周囲の大気を操作し、気化した水銀が拡散しないようにしている。局所的な大気操作くらいなら僕にもできるが、別の術の片手間にとなるとまだ難しい。
 よくよく見れば、銀獅子は気化と凝縮を繰り返している。無数にあった触手はいつの間にか消え、たてがみの刺々しい毛先や四肢の鋭い爪は丸くなっていた。金属光沢に覆われた身体の表面もどこかとろけた印象となる。
「猫は猫らしく丸まっとけってんだ」
 やがて水銀は完全に溶け、大気が循環する見えないドームの中で球体状の塊と化した。熱を操作して、強制的に銀獅子の形態を変えているのだ。時折反発するかのように震えて角らしきものを突きだすが、すぐに銀塊の中に引っ込む。いや、引っ込むという表現は正しくないか。師匠の術式により、強制的に気化させられ、形を失ってしまうのだ。
「座標入力完了っと。逝っとけやぁー!」
 腹の底から出した野太い轟き。それは大気を揺るがし、辺り一帯に響き渡る。
 するとどうだろう。一際明るくプラズマが弾けたかと思うと、水銀の塊はその場から姿を消した。空にもなく地にもなく、弾け飛んで拡散したでもなく、何もなかったかのように忽然といなくなった。
 どこに行ってしまったのか、考えるまでもない。僕が探し出した産廃施設の処理タンクの中だ。ぬかりなくタンクの強度も調べてある。水銀を含む廃棄物は千度近い高温で処理されるため、薄っぺらい鉄のタンクなんか使わない。たとえあいつが内部で暴れたとしても、ちょっとやそっとじゃ壊れないはずだ。そして数時間後には、他の廃液と同様に高純度の水銀に生まれ変わる。新しい人生だ。おめでとう。
 これで一安心と息をつく。
 僕を短距離移動させた≪運命の輪≫は、術者、つまり師匠を基準とした相対座標で指定していた。これを緯度経度の絶対座標で指定すれば、理論上は世界中の何処へでも転送できる。もちろん術者の力量がなければ不可能だけれど、師匠ならば地球の裏側にだって転送できるはずだ。
 後に残ったのは鋭い爪痕残る路地と、砕け散ったショーウィンドウ。惨憺たる有様に、このままとんずらしてしまおうかと思ったが、ひしゃげた街灯に貼ってあるCCTVのステッカーが目についた。見上げると、そのものは無傷のレンズがこちらを向いていた。忘れていた。ここは監視カメラの国だ。どこにいても機械の眼が光っている。
 頭の中で大まかな賠償金を計算する。煉瓦道、古いアパートメントの門と壁、街灯数本に、道端の消火栓からは水が噴き出している。ショーウィンドウは大きな一枚ガラスだから値が張りそうだ。積み上げられていくゼロの数に、徐々に顔から血の気が引いていくのがわかった。いくら師匠が人知を超えた存在であろうと、贅沢できるほどの稼ぎはない。泡銭でも手に入ればすぐに研究に使ってしまうので、貯蓄なんて無いに等しい。
 賠償金の支払いなんて到底無理だ。刺すように胃が痛む。
 ならばいっそのこと映像データを改竄したほうが早いかもしれない。僕らの顔の部分をぼかすとか、別人の顔にすり替えるとか。そのくらいなら僕でもできる。
 データベースへの侵入経路を模索し始めたところで、
「俺たちは被害者だろ」
 という師匠の声にぎょっとした。心を読んだかのようなタイミングだった。そうだ、これは事故のようなものだ。突然襲われた僕たちに否はない。罪に問われるとしたら、あの水銀生物を送り込んできた張本人だ。
「逃げるとかえって疑われる。ここにいよう」
 まったく、とぼやいて師匠は手近なアパートメントの階段に座る。背を丸めて腿に肘を立て、頬杖をつく。いつの間に火を点けたのか、紙巻煙草をくわえていた。
 誰かが通報したらしい。遠くからサイレンの高い音が近づいてくる。直にここに到着するはずだ。聞かれる前に出しておこうとパスポートは持っていただろうかと外套の内ポケットを探った。
「ユゥヒ、見てるんだろ」
 うんざりといった体で師匠は空に呼びかける。
「覗き見趣味の下種が」
 吐き捨てるような一言。すると僕らの前に鴉が一羽、舞い降りた。濡れたような漆黒の翼に、大柄な胴体。黒い嘴は太く、先が曲がっている。ハシブトガラスだ。アジア圏に分布する種類で、ヨーロッパで見ることはまったくないと言ってもいいだろう。そんな珍しい鳥がここにいるということは、つまり。
『さすがは我が師匠。いや、元師匠ですね』
 目がルビーのように赤い。その目から懐中電灯のように光が放射される。普通なら驚くことなのだろうが、見慣れてしまった僕と師匠はただぼんやりとそれを眺めているだけ。
 広がった光の中に、細身の青年の姿が浮かび上がる。大きさは僕より二回りほど小さい。これもホログラフィーだ。もちろん当人はここにはいない。どこか別の場所から鴉を操り、自分の姿を投影しているのだ。
 鴉と同じ濡れたように黒い髪に、やや白みがかった黄色い肌。右の瞳は髪と同じ濡場色だが、左目は白く濁っている。鼻には片眼鏡をひっかけて、インテリを気取っているつもりなのだろうか。以前見たときよりも多少痩せたようだ。頬がこけて不健康な印象を強くしている。
「たまには自分の足で出張ってきたらどうだ。いつも高みの見物ではつまらんだろう」
『これはこれで楽しいものですよ』
 元兄弟子ユゥヒは手を広げてニッと笑った。細い目が線のように孤を描く。
「さっきの聞いてたろ。文句あんなら直接言え。俺は逃げも隠れもしねぇ」
『知ってます。セセ師は気が短くて困る』
「気が短ぇのはどっちだ?」
 あっという間に短くなった煙草を、まだ火が残ったままユゥヒに投げつける。赤い軌跡を描いてユゥヒの腹にヒット。先端の熱でわずかにホログラフィーにノイズが混じったが、何事もなかったかのようにすぐに戻る。煙草はそのまま突き抜けて、地面に落ちた。一筋の煙が立ち上る。
 ユゥヒは師匠に顔を向けたまま表情を崩さない。画面が停止したかのような、しばしの沈黙。
『今は王立科学技術院にいらっしゃるんですよね?』
「おう」
 特に隠すことでもない。むしろ師匠のストーカーだったら知っていて当然とも言える。
『あそこには私の知人がいるのですよ。近々お目見えすることもあるでしょう。積もる話はその時にでも』
「俺は貴様にする話なんかねぇよ」
 言い捨てて師匠はむっつりと黙る。ただでさえスキンヘッドの強面なのに、黙りこくってしまうとますます怖い風貌となる。頭には刺青が入っていることもあり、到底堅気には見えない。
 ホログラフの青年はそれ以上口を挟まず深々と会釈をする。スイッチを切ったかのように鴉の目が照射をやめ、下げた頭が消えた。一声鳴いて鴉が羽ばたく。鳥目などおかまいなしに舞い上がり、宵闇の空に溶けて行った。
「ユゥヒさん、まだ師匠のこと」
「知らん」
 強制的に遮断され、続くはずだった言葉が宙に浮く。手持無沙汰になった僕は、導体を胸に抱いて師匠の隣に座った。ひんやりとしたコンクリートが疲れた身体に心地良い。
 パトカーのサイレンはすぐそこまで来ていた。
「飲み直す気も起きねぇわ。早く帰って寝たい」
 ぼやく師匠の望みとは裏腹に、やってきた警察の取り調べは長時間に及んだ。疑われても無理はないと思っていたが、さすがに一番鶏の声を聞くことになるとは。僕たちが解放されたは始発が動き始める頃だった。
 そう言えば僕、兄弟子に思いっきり無視されていた。
 そんなことに気付いたのは、宿に帰ってきてからだった。

ep.1 end.

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