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赤月寓話(3):back/目次/next


第三夜 隼斗


 琥珀色のグラスが揺れる。氷の衝突音に耳を澄ます。グラスを持つ手は女の物だ。ネイルエナメルを塗っていないのは、仕事の邪魔になるからだろう。
「隼斗」
 正面を向いたまま女は隣に座る男に問い掛ける。
「あんた結婚しないの?」
 ウィスキーをオンザロックで傾ける女に対し、男はショートのカクテルグラス。中はマティーニ。半分だけ噛られたオリーブが沈んでいる。
 男は苦笑しながら煙草に火を点けた。
「唐突にそんな話かよ」
「あんたにも連絡来てただろうけど、この前大学の同期会があってさ。その時来てた連中が気にしてたのよ。で、何でか私に聞いてきたの。こっちはいつでも祝ってやる準備できてるんだぞって」
「相変わらずお節介な連中だな。自分らだって片付いてないだろうに」
 共通の友人たちの顔が思い浮かぶ。余計なことには首を突っ込まない、気持ちのいい付き合いができる奴らばかりだった。最後に別れてから大分経つ。
「彼女と付き合ってもう何年になる?」
 無言で男は右手を広げた。つまり、五年。女は呆れたように溜息をついて見せる。
「お互いいい歳でしょ。そろそろそんな話も出てくる頃合いなんじゃないの」
「そうは言ってもな」
 紫煙を吐く。
「俺が普通の男だったらとっくにプロポーズしてるさ」
「玖路と翠雅の血か」
「そういうこと」
 女の名は蒼凪十和子。外見はごく普通のOLだが、北を守護する蒼凪家の一員である。
 男は玖路隼斗。涼しげな眼差しを持つなかなかの美青年だ。彼は母が東の玖路家直系、父が西の翠雅家当主の混血である。
 それぞれの家は古来より交わることがなかった。今でこそこうして当たり前のように会話を交わしているが、先の帝国が崩壊するまでは有り得ないことだった。
 蒼凪、玖路、翠雅、朱門。
 日本を守護するそれぞれは非接触不干渉としていた。彼らに任されているのは支配ではなく、守護だ。家同士の縄張り争いなど不毛なことこの上ない。
 だからこそ、余計な情など湧かぬように一切の接触を絶っていた。それぞれの存在こそ認知すれど、お互いが何をやっているかは当主その人しか知らない。これまでそれで調和が取れていたのはまとめ役である家があったからで、四家は相互に口をきく必要はなかった。
 しかし今はその家系も絶え、やむなく四家が定期的に繋ぎを取り、これからの護国の方針を定めている。時代の変化に伴い、協力関係を築くこともやむなしとなった。
 そう、時代が少し古かったら、十和子と隼斗は友人どころか言葉を交わすことすら叶わなかったのだ。
 そんな二人がカウンターに並び、酒を飲んでいるのだから時代の変化というのも面白い。
「許嫁とか決められてるの?」
 隼斗はこの若さながら玖路家のエース的存在だった。能力優秀にして頭が切れる。一族がそんな隼斗を独身で良しとするとは考えられない。まず間違いなく早く子を成せと言うだろうし、幼い頃から相手を決められていてもおかしくはない。
「いんや」
 しかしそれもあっさり否定し、隼斗は煙草を灰皿に押し付ける。
「それとも翠雅とのお家騒動?」
「あっちには縁切られてるから。親父は翠雅の人間で、俺は玖路の人間。完全に仕事だけ。プライベートや玖路の家事情には口出してこないよ」
「それも寂しいわね」
「ただのお家じゃないから仕方ないな」
 背景の一部となってグラスを磨いていたバーテンを呼ぶと、マティーニをもう一杯と頼む。今度はオリーブ抜きのドライマティーニだ。隼斗はいつもいいペースで飲むが、酔っ払ったところは見たことがない。
「お袋や長老連中は何も言わんよ」
「だったら障害も何もないじゃない。さっさと籍入れてしまいなさいよ」
 何故渋るのか。まさに適齢期で親から催促の声がうるさい十和子は、どうしても彼女のほうに同情してしまう。
「俺の血を残していいかどうか、わからないんだ」
 玖路も翠雅も強い血だ。しかも直系となれば濃い。その濃くて強い血が混じり合った結果がどうなるのか、誰にもわからない。非接触不干渉が厳格に守られてきたがゆえ、前例がない。
 今でこそ隼斗は普通の人間と変わらないが、このまま一生を全うできるとも言い切れない。もしかしたら遺伝子に異常があるかもしれない。早死にするかもしれないし、逆にありえないほど長命かもしれない。あまりにもの強さに、化け物と化してしまうかもしれない。
 本人すら恐れる異質の血。そんな血を引いた子供は存在を許されるのかどうか、これまで誰にも判断できていない。そしておそらくはこれからも誰も判断しようとしないだろう。だから一族の者も何も言わないのだ。
「それでもお袋と親父を恨んだことはないよ。俺自身は生んでくれたことに感謝している。あいつを人並みに幸せにできないのは申し訳ないけど、出会えたこと自体は人生最大の幸福だと思っている」
「何それ、惚気?」
「かもな」
 はにかむくらいすればいいのに、整った顔は素っ気なくそう言って新しい煙草をくわえた。
「直系というのも面倒ね。彼女にそれ説明した?」
「した。したのに一緒にいてくれる。女ってわかんないわ」
「馬鹿」
 神や仏ではないのだから、頭が良くて気が利く男にもわからないものがあるだろう。しかしあまりにもわかりやすい答えを「わからない」と言ってのけるのだから、隼斗もやはりただの男と変わらない。
「そういうお前はどうなんだ? もう何年も浮いた話を聞かないが」
「仕事が恋人になっちゃったからね。人間と付き合うのはもう無理かな」
 仕事に明け暮れる毎日で、気付いたら出会いも何もない状況になっていた。仮に恋人ができたとしても、仕事を優先するあまりにすぐ愛想を尽かされるだろう。ありがちな話だ。
 誰かと日々を共に歩むことが想像できず、結婚願望そのものがあったのかどうかすら怪しい。今は仕事のことしか考えられない。
「壱哉君といい、百瀬君といい、蒼凪はそんな奴らばかりか。お前らの代で途絶えそうだな」
 名前が挙がった十和子の従弟二人は、十和子以上に深刻な状況だ。一人は未婚の父となってしまったがゆえに、子育てと仕事が忙しい。もう一人は人付き合いそのものを否定し、自分の世界に閉じこもっている。
 特に壱哉は次期当主となるべく定められている。彼の娘は蒼凪の血をひいていない養子なので、壱哉がこのまま他に子を作らないとなると蒼凪は断絶する。
「それもいいんじゃないの。時代は変わっていくんだから」
「お前は気楽でいいね」
 吸いさしを残したまま、隼斗はスツールから立ち上がる。
「仕事があるから行くわ。連中によろしく」
「あんたも元気で」
 カウンターに残された女はグラスを一気に煽る。ボールアイスだけが残り、静かな店内に透明感のある音を響かせた。

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