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切り裂く欲望とその先(4):back/小説目次/next

4.

 すでに昼になっていた。
 モニターから目を離し、室内をきょろきょろと見回す。いつも愛妻弁当の課長を残し、みんな席を外していた。組んだ手を天井へ向け、背筋を伸ばす。肩を回して強張っていた筋肉をほぐし、大きく深呼吸。
 課長に一言断ってから外に出た。十二時から一時間、オフィス街の空気は一変する。ランチへと連れ立つOL。一仕事終えた仕出しの弁当屋。立ち食いの蕎麦をすすりながら商談の電話を受ける営業マン。食事の香りが鼻腔をくすぐり、死んだように無機質だった街に命が返ってきたように見える。
 私はコンビニでミネラルウォーターを買い、近くの公園で空いてるベンチを探した。黒い鞄を抱えたサラリーマンが立ったのを見計らい、腰を下ろす。
 ピルケースに入れた栄養剤を口内にザラザラと放り込み、軽く噛み砕いてから水で飲み下した。
 メモ部分に数字を走り書きした手帳を開く。昨日のうちに卒業アルバムから書き写しておいた。一個ずつ確認しながら携帯電話のボタンを押す。
 十一桁の数字の入力が終わる。間もなく二秒おきのコール音が鳴った。四回目で受話器を上げる音。手に汗がにじんだ。
『もしもし?』上品そうなやわらかな女性の声が聞こえた。『内海でございますが』


 美咲は生きていた。
 私が高校時代の同級生であることを明かすと、美咲の母親はあっさりと連絡先を教えてくれた。今は家を離れ、仕事に励んでいるとのことだった。
 その後、美咲本人にも電話をした。
 変わらない快活な声が久しぶり、と言い、互いの近況を報告しあった。
 美咲は化粧品メーカーの営業をやっているらしい。色んな製品を試せるから楽しいわよ、と明るい声が言っていた。
 それとなく暁生のことも話してみた。しかし彼女は暁生を部屋に入れたことはおろか、会ったこともなかった。話には聞いたけれど、顔は知らないわよ。そんな返事だった。嘘には聞こえない。ぐらりと視界が揺れた。
 そして、美咲は生きている。


 その日の午後は、頭痛がすると言って早退した。たしかに私の顔は青褪め、唇も色を失っていた。人のいい課長は心配して病院まで紹介してくれた。
 足早に会社を出てバス停に向かった。病院はおろか、家にすら帰るつもりなどない。停留所には二人の子どもと一人の青年が並んでいた。私はその後ろにつく。
 しばらく待っているとバスがやってきた。空気が抜けるような音がして扉が開いた。子どもが乗り、青年が乗り、私が乗る。
 市立図書館行き、と表示されたバスは滑るように走り出した。

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