[0] [1] [2] [3] [4] [5] [6]

切り裂く欲望とその先(6):back/小説目次

6.

 プラスチックの容器を振ると、カラリと乾いた音がした。残りはあと少しだけのようだ。
 マルチビタミンと書いてある容器の蓋を取って逆さにする。
 一粒しか出てこなかった。そのたった一粒を口の中に放り込んで噛み砕く。味も感じない。水無しで飲み込んだ。
 いつもと同じ、だけどいつもと違う朝だった。
 起こしてくれる人もいない。朝食を作ってくれる人もいない。
 一人暮しの人間の、普通の朝。
 私が起きてきたときにはすでに暁生はいなかった。ベッド代わりのソファの上には、几帳面に畳まれた毛布が載っている。ちょっと散歩にでも行ったかのように、何も持たずに出て行った。
 すぐに帰ってくる。買い物袋を抱えて暁生は姿を見せる。
 そう願って私は待った。会社は風邪を理由に休んだ。栄養剤を噛みながら、私はずっと待った。
 調べた限りでは暁生が人を殺したという事実はなかった。
 では。
 あの夜、暁生が全身に浴びていた血は誰のものだったのだろう。誰を殺して、どうして私のもとに戻ってきたのだろう。
 二年間、暁生はどこで何をしていたのだろう。私が知らない二年間。ソファに座ってぼんやりとそんなことを考えていると、暁生が手の届かないほど遠くへ行ってしまったように感じた。
 結局、私と暁生は他人なんだ。
 自然と視線はベランダに向いていた。ベランダに焦点が合う。
 無かった。
 刃を剥き出しにしたナイフがなかった。存在したことの証として血痕だけを残し、そのもは消えていた。
「はは……」
 愉快でも何でもないのに笑いが漏れる。声だけの笑いだ。
 暁生は帰ってこない、と確信した。
 今度は泣かない。涙なんて一滴も出てこなかった。
 人は時とともに変わる。私も変わった。
 そして多分、暁生も。

back/小説目次