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時間病(5):back/小説目次/next

 大学から徒歩五分のところのファミリーレストラン。そこで慎二は待っていた。店の戸を開け、知り合いのアルバイトに挨拶すると、慎二がいる奥のテーブルに案内してくれた。
 大学が近いだけに、学生はもちろん、教授陣の姿も見える。外から見える位置の大テーブルを囲んでいるのは、法律社会分野の面々だった。クラス担任でもある行政法特論の助教授が僕に気付いた。軽く会釈して通り過ぎる。
 慎二はもうとっくに注文を済ませ、ランチセットを突っついていた。注文を取りに来たウェイターに、日替わりランチを食後はコーヒーで、と頼む。
「メニューくらい見ろよ」
「いいんだよ。俺はお前と違って好き嫌いないから何でも食える」
「だけど、その時の気分ってもんがあるだろ」
 人の注文にケチをつける。そんな男のプチトマトを奪って口の中に入れた。
「ああ!」
「この前のお返しだ」
「ばかやろ、ナルト一枚とトマト一個にどんだけの価格差があると思ってるんだ」
 くやしそうに睨む慎二の皿にへたを返してやる。食べ終わったも同然の皿の上に、緑色が加わって彩り鮮やかになった。
「そう言えば、これ」
 慎二の前に薄緑のファイルを置いた。あの女子学生が置いていったファイルだ。
「お前に返してくれって。ったく、人のもんまた貸しすんなよ」
「コピーだからいいだろ」
「だけど著作権は俺にあるの。いつもこんなことしてんのか?」
「してねぇよ。あの子だけ特別なの」
「へぇ」
 慎二にニヤニヤと笑いかけてやる。いつもやられてる分、十八番を奪ってやり返してやろうという気持ちも半分。
「女に興味ないって言ってた慎二さんがねぇ」
「バーカ。そんなんじゃねぇよ」
 ニヤニヤ笑う僕に、ニヤニヤと笑い返してくる。本当にこいつはチェシャ猫に似ている。不思議の国のアリスの、テニエルの挿絵そのままだ。もしかすると、前世はチェシャ猫だったのかもな。
 慎二の食後のコーヒーと、僕の日替わりランチが運ばれてきた。ごゆっくり、と言ってそそくさと去っていくウェイトレス。次にはもう別の客の応対をしている。この時間はどこの店も忙しい。
 今日の日替わりランチはハンバーグと唐揚げのセット。昨夜夕飯を食べて以来、何も口にしていなかったから腹は減っている。減っていると身体に言い聞かせながら口に運ぶ。丸十八時間飲まず食わずだったはずなのに、不思議なことに身体は空腹を訴えていなかった。
 慎二ほど物を食べるわけではないが、人並みに腹は減るし、人並みに食べる。食欲が減退することもなく、胃腸の病気を患うこともなく、この二十年あまり健康的に一日三食きちんと食べてきた。
 それがこの数日、どうにも身体がおかしい。遅刻することはもちろん、腹が空きにくくなっている。食べ物を見ても、今は食事時ではないと身体が言うのだ。
「どうした、食欲ないのか?」
 なかなか箸が進まない僕に慎二が声をかける。この悪友が人を気遣うなんて珍しい。
「ないわけじゃないんだけど。いや、この場合はないって言うのかな」
「は? 何わけわかんないこと言ってんだよ」
「や、腹減らなくてさ」
 それでも何か身体に入れなくてはという意識が働く。へたを取ってプチトマトを食べる。慎二のものよりもずっと若くて酸っぱかった。
「無理して食べるなよ。そうでなくても、ここのところ変だからさ」
「そうか?」
「そうだよ。入学以来遅刻無しだったお前が、最近どの講義でも遅刻してる。恐ろしく時間に正確な真面目人間が何事だと、評判になってるよ」
「ええ? そんなに噂になってんの?」
「うん。世界大戦勃発の先触れか、天変地異の前触れかってくらい」
 初耳だった。入学以来、特にサークルにも入らずクラス委員にもならず、地味に生きてきた僕が人の口に上るなんて。それどころか、そんな風に噂されるなんて。
「ありえない!」
 頭を抱える僕に、
「まったくだ」
 慎二が同調した。
「本当に何があったんだ? 親友として心配しちゃうよ」
「親友とか言ってるのはどの口だ」
「この口だ」

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