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時間病(8):back/小説目次/next

 随分早く目が醒めた。
 僕の感覚で「早く」というのは信用できないが、とにかく早く起きたと感じた。遮光カーテンのおかげで暗い部屋では今が夜か朝かもわからない。わずかに射す光を頼りに暗闇の中で目を凝らし、枕元の腕時計を確認した。時計は二時半。つまり今は二時半ではない。
 カーテンを開けると、薄明かりの中に街が見えた。ビロードの夜空に紗がかかっていた。やはり早い時間のようだ。
 慎二の話では、いくら時間病でも太陽にまでは影響を及ぼせないらしい。ちっぽけな人間では到底太陽にはかなうはずもなく、せいぜい日時計の影をおかしな方向に向けるくらいだ。
 寝巻きから着替え、腕時計を身に着けて、青と赤が混じった空の下に出た。
 人気のない朝の道はそれなりに新鮮だった。少なからず人のいる昼間とは違い、どこの窓も静粛で、まるで皆消えてしまったかのようだ。ガスが出てわずかに湿っぽい空気はきりりと冷えている。寝起きの頭にはとても効く。
 そんな街の様子が面白く、ぶらぶらと散歩して歩いた。
 街灯はまだぼんやりと道を照らしている。段々と空が明るくなっていき、その光も冴えない。新聞配達の自転車が向こうの角を曲がっていくのが見えた。彼らの運転する自転車はどれもこれもブレーキオイルが効いてない。どこかの家の前で悲鳴を上げて止まる音が聞こえた。
 僕はポケットの小銭を確認してコンビニに入った。いらっしゃいませ、とおざなりな声が僕を迎える。深夜シフトのアルバイト店員が一人、眠そうな目をこすりながらぼうっとレジに立っていた。今日の新聞とパックの牛乳を目の前に置いてもしばらく気付かなかったくらいだ。
 百円玉を三枚出して、釣銭とレシートをもらう。
「今、何時ですか?」
 ありがとうございましたと言いかけた店員が、驚いた顔で僕を見た。初めて人類と遭遇した獣のような顔だった。コンビニなんて客が一言も喋らずに物を買えるところだ。口を開いたとしてもせいぜい「お箸をお付けしますか?」「はい」というやり取りぐらいだ。
「今、何時ですか?」
 もう一度、今度はゆっくり問い直す。ようやく質問の意味を飲み込んだ店員は、店内の時計ではなく、自分の腕時計を確認する。
「五時になるところですよ」
 礼を言って店を出る。二時半からほとんど進んでいなかった腕時計を五時に合わせた。
 後は寄り道もせずに家に帰り、買ってきた牛乳と買い置きのパンで朝食にした。一週間ほど前に買った食パンは賞味期限が切れそうで、早く始末しなければならなかった。しかし、よくよく考えてみればそう急いで食べることもない。僕のせいで食パンの本当の賞味期限は延びているのだから。記載されている賞味期限より一日長いか、二日長いか。正しい期限なんてわからないけど、他の人よりも少しだけ長くおいしく食べられるというのも、便利なことであるような気もした。
 朝食はそれだけで充分だった。特に腹は減っていないが、一日の区切りとして朝食を食べておこうと思ったまでだ。
 テレビを点けると海外の通販番組をやっていた。今朝の新聞を開き、テレビ欄を見ると、午前五時のこの時間には天気予報とニュースをやっているはずだった。いよいよもってテレビの時間までおかしくなってきたらしい。腹が六つに割れた金髪美女が、フラフープのようなダイエット器具の実演を行っているところだった。しばらく眺めていたけど、何度も繰り返される同じシーンに飽きてついには消してしまった。
 そしてそのまま、二度寝することもなく慎二からの電話を待った。

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